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2012.04.08

神殿の丘、シオンの丘

今日はまず神殿の丘へ行く計画。朝ホテルを出て、ケデロンの谷を横切り、糞門から旧市街へ。糞門とは凄い名前ですが、昔ここから排泄物を運び出していたのだとか。門を入ると近くに神殿の丘西南側の入口があるのですが、アラブ人はそこも含めてモロッコ門とも呼ぶそうです。

神殿の丘の入口前には、既に何百人の観光客の大行列。ツアー団体客も多く、僕がどこに並ぼうかあたふたしていると、おばちゃんにここに並びなさいよと声掛けられます。おばちゃんたちはイギリスからツアーで訪れているのだとか。夫だというおじさんがビシっと立ち超丁寧に挨拶してくるので、その英国紳士然とした態度に少しこちらが照れてしまうというか、失礼ながらちょっと笑ってしまうほど。「ロンドン何年か前に行きましたよ。素敵な街ですね。」と言ったら、「東京は忙しない街だね。」と返されました(苦笑)。あとはやっぱり地震や福島の話になったり。

まったく進まない列。その間、何度もピーヒャラドンドン、太鼓や笛を鳴らしながらユダヤ人の祭列が嘆きの壁へ向かって通り過ぎていきます。英国紳士に詳しいことを知っているか聞いてみたところ、成人の儀式だとのこと。13歳になると親族をあげてこうしてパレードをしたりして祝うのだとか。

神殿の丘の冬季の入場は、午前7時30から10時までとお昼1時間のみ。金土は休みで、この日は木曜日。僕にとっては最後のチャンス。どんどん10時が迫ってきて焦っていると、団体客の方々が次々に先にどうぞと譲ってくれて、だいぶ前方へ。結果1時間30分くらい待ったものの、滑り込みセーフ。10時5分前くらい(汗)。アッラーが偉大だからか、ヤハウェが慈悲深いからか。とりあえず、ありがとうイギリスやイタリアのおばちゃんたち。

どうにか入場は果たしたものの、いつ追い出されるか分からなかったので、早足に見て回ります。と言っても、建物内はムスリム以外は入れないので、外観を見る感じ。ここに建っていたユダヤの神殿は紀元後ほどなくしてローマに破壊され、7世紀その上にはモスク等が建てられ、そして現在またイスラエルの実効支配を受けています。エルサレム、パレスチナを象徴するような場所。

岩のドームの中には、名前の通り巨大な岩があります。ここから大天使ガブリエルに導かれムハンマドが昇天し、アッラーと会い、戻ってきたというミウラージュという伝承があり、また、最後の審判の日、すべての魂がここに集まる「魂の井戸」ともされています。イスラム教3大聖地の一つです。また、アブラハムが息子イサクを神に捧げようとした場所とも言われ、イスラム教と同じアブラハミックであるユダヤ教、キリスト教にとっても神聖な場所なのだそうです。ブルーのタイル、幾何学模様が美しい岩のドームの外観は、16世紀オスマン朝スライマーン1世によって施されたものだとか。

アル・アクサー・モスクは、丘の南側に、前述のミウラージュを記念し建てられたモスク。創建当時の面影はほとんど残ってはいないものの、イスラム教最初期のモスクの一つだそうです。

入場して30分もしないうちに、お昼休みだからか?係員が巡回し、観光客と思しき人たちを追い出しにかかり始めました。しかし、外観のみですので、一通りは見て写真も撮りましたし、神殿の丘に無事入れただけでもよしとしたいと思います。

アル・アクサー・モスク
▲アル・アクサー・モスク。南側からの遠景。(エルサレム旧市街)

岩のドーム
岩のドーム
▲岩のドーム。(エルサレム旧市街、神殿の丘)

入場したモロッコ門とは違う門から神殿の丘を出て、旧市街のムスリム地区、ユダヤ人地区を歩きます。旧市街は、キリスト教徒、ムスリム、ユダヤ人、アルメニア人と、地区が分かれていて、街並みの雰囲気も少しずつ違ったりして面白いです。特に雑多で活気のあるムスリム地区と静かで画廊や書店などがあるユダヤ人地区などは対照的。東エルサレムをヨルダンが治めていた時には、その境の扉は閉ざされ、兵士が警備する国境だったのだとか。現在の旧市街は一見そこそこ仲良く暮らしているようにも見えますが、実際は対立の歴史もあって、決して混じり合わず分かれて住んでいるような現実がある。不思議だけど、実は世界の縮図でもあるような、そんな街。

旧市街、地区の境
▲ムスリム地区とユダヤ人地区の境の扉。向こうがムスリム地区。(エルサレム旧市街)

南西にあるシオン門から旧市街を出て、シオンの丘へ。門からすぐ、ユダヤ教のシナゴーグなどがある建物の中に、ダビデ王の墓があります。部屋に置かれた石棺にはベルベットの布がかけられています。ユダヤ人と思しき人々が祈りを捧げています。ダビデはイスラム教でも預言者とされていますが、ムスリムは近づき難い雰囲気。ただし、ここが本当にダビデの墓であるかは異論も多いそうです。

ダビデ王の墓近くの建物の2階には、最後の晩餐の部屋と呼ばれる部屋もあります。そう、ダビンチの名画でも有名なイエスの「最後の晩餐」を行ったとされる部屋です。しかしながら、正直その面影はかけらもありません。現在の建物は十字軍が建てたもので、さらに15世紀には部屋はイスラムの礼拝所に改修されています。イエスと弟子たちが食事をしたテーブルでも残っていれば気分も盛り上がりますが、・・・それはそれで嘘くさいかな。

ダビデ王の墓
▲ダビデ王の墓。(エルサレム、シオンの丘)

最後の晩餐の部屋
▲最後の晩餐の部屋。ミフラーブもある。(エルサレム、シオンの丘)

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