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2012.03.23

マサダ、死海、エルサレム新市街

ヤッフォ通りを走るLRT
▲ヤッフォ通りを走るLRT(トラム)。昨年2011年末開通した。(エルサレム新市街)

今日はマサダと死海を見に行く計画。マサダ行きのバスに乗るために、まずはタクシーでホテルからセントラル・バスステーションへと向かいます。しかし、朝の渋滞もあって、乗ろうと考えていた8時発のバスには間に合わず。あとになって、タクシーよりもLRT(トラム)のほうが良かったなと後悔しましたが、バスは1時間毎に出ているみたいだし焦っても仕方ないかと、バスステーション内をぷらぷら。

エルサレムのセントラル・バスステーションは、新市街の西にあって、ターミナルになっている3階部分裏手からバスが出られるような造りになっています。建物の中は結構広くて、飲食店から洋服までいろいろなテナントもあります。バスの時間まで、サンドイッチ店でサンドイッチとコーヒーシェイクのセットで朝食。

エルサレム・セントラル・バス・ステーション
▲セントラルバスステーション。兵士だらけの発車待合ロビー。(エルサレム新市街)

http://www.egged.co.il/Eng/

バスはエゲッドバスという元国営バス会社。料金は乗車時に運転席で支払います。エン・ゲディまで所要約1時間30分で36NIS。さらにマサダまでは所要約1時間45分で42NIS。エルサレムを出て、約1時間くらい行くと、荒涼とした土地の向こうに死海の美しいブルーの湖面が見えてきます。バスはそのまま乗っていればマサダまで行きますが、死海を車窓から眺めるだけというのももったいないので、エン・ゲディという場所のパブリックビーチ近くでバスを途中下車してみます。

http://www.deadsea.co.il/

シーズンオフということで、人影はまばら。ちょっとしたレストランやお店もありますが閉まっていました。ビーチは無料で入場OK。とりあえず湖岸まで近づいてみます。天気は最高に良かったのですが、風が強く、体感温度は十数度といったところ。寒くて湖面は波立ってるし、水の中に入るのはやめておきました。何人か入っている人はいましたが、みんな唇紫で震えていました。死海というとまず浮かぶのは、優雅に浮いて新聞や本を読んでいるイメージですが、この日は無理。当たり前ですが、あれを体験したいなら来るのは夏ですね(苦笑)。試しに、死海の水を舐めてみます。苦い!塩分濃度は約30%、海の10倍らしいです。ビーチと銘打っていますが、湖岸は急斜面の下で石ころだらけです。有料のスパリゾートでは泥ビーチで泥パックが出来たりもするみたいです。

塩害などもあってか、死海の周囲は緑もまばらで、また一見美しい水の中に魚は生息していないんですよね。そうそう、死海一帯は世界で一番低い地表でもあるとか。一番高いチョモランマに登頂するのはなかなか難しいですが、低い方はバスで来れますね(笑)。

パラソルなどがある休憩用のスペース
▲パラソルなどがある休憩用のスペース。この先が急斜面になっていて、ビーチ(死海の湖岸)はその下。(エン・ゲディ、パブリック・ビーチ)

エン・ゲディ、パブリック・ビーチ
▲シーズンオフの寒いなか泳いでいる(浮かんでいる?)強者も。(エン・ゲディ、パブリック・ビーチ)

死海の湖岸
▲波は泡立ち、塩が結晶化してくっ付いた石が転がる。(エン・ゲディ、パブリック・ビーチ)

再びバス停からバスに乗り15分もすると、たくさんの4~500mの岩山の合間に、マサダの遺跡を有する岩山が姿を現します。遺跡は岩山の頂上部にあり、麓から徒歩またはロープウェイで登ります。売店やレストラン、フードコート、ちょっとした史料展示などがあるビジターセンターでチケットを購入、もちろんロープウェイです。

岩山の急な壁面を登ると、頂上部は南北600m東西300m程度の比較的なだらかな台地となっており、一面に要塞跡があります。紀元前120年頃から要塞が築かれ、(紀元後)73年頃には、ユダヤ戦争の最後まで抵抗したユダヤ人が約2年間立て籠もり集団自決した場所。数百年に渡りその場所さえ不明となっていましたが、1838年に発見されたそうです。

要塞はローマ帝国軍に破壊されたそうですが、シナゴーグ(ユダヤ教の会堂)や浴場、住居、倉庫など様々な建物跡が発掘されています。後のビザンチン時代の(キリスト教)教会跡なんかもあって、ここでは現在も何やら儀式が行われていました。

見渡す限り広がる荒野と美しい死海の景色も素晴らしいです。壮大な絶景ですが、どこか寂しさというか静けさを帯びている感じがしました。このような場所に要塞を築いたというのも、またそこに1,000人近い人々が数年も立て籠もったというのも驚きです。マサダは現在、国防軍の入隊式が行われるなど、ユダヤ人にとって民族の苦難に思いを馳せ、国家への忠誠を誓う特別な場所だといいます。「マサダの悲劇は二度と繰り返さない」との誓いは、ユダヤ人の民族と国家への頑強なまでの思いへとつながっているのでしょう。

マサダの岩山
▲少し離れた死海湖岸から見たマサダの岩山。(マサダ)

マサダのロープウェイ駅
▲ロープウェイ、山頂駅。数分で頂上へ。徒歩だと1時間はかかるらしい。(マサダ)

マサダから死海南方を眺める
▲マサダから死海南方を眺める。(マサダ)

マサダ
マサダ
▲多くは破壊されたが、壁の漆喰や床のモザイクなどが残っているところもある。(マサダ)

北の宮殿跡
▲北側の壁面には、ヘロデ大王が建てたという北の宮殿跡がある。(マサダ)

夕方、エルサレムへ戻り、ホテルへの帰りがてら新市街を少し歩いてみます。マハネー・イェフダー市場は、生鮮食品や飲食料品などが集まった市場。ヘブライ語の看板が多いなど、アラブ系のスークとは少し雰囲気が違うかな。旧市街へと向かうメインストリート・ヤッフォ通りを歩きつつ、時たま一本二本入ったベン・イェフダー通りなどを散策。たくさんのお店があり賑やか。途中AHAVAのお店があったので、これだけは忘れず買っておこうと思っていた死海の塩の石鹸をお土産に買います。2個で70NIS。石鹸にしては高いですが、4個買ったら2個オマケしてくれました。

http://www.ahava.com/

マハネー・イェフダー市場
▲マハネー・イェフダー市場。(エルサレム新市街)

ヤッフォ通り
▲ヤッフォ通り。(エルサレム新市街)

ユダヤの帽子キッパ専門店
▲行こうみんなでキッパマン!♪ユダヤの帽子キッパ専門店。(エルサレム新市街)

2012.03.22

Tomato n' Pine

汐留の日テレ前の広場で、春のPON!祭りというイベントをやっていて、その特設ステージで、Tomato n' Pineのステージがあったので、見てきました。初生トマパイ。

そうそう、意外にもまだ一度もブログで語ったことがなかったけど、昨年夏くらいから注目しています。単体でもそこそこ有名なYUIこと小池唯、WADAこと和田えりか、HINAこと草野日菜子の3人組。切ないメロディとコード感の打ち込みポップスの「旅立ちトランスファー」、「なないろ☆ナミダ」というシングル曲をイイ曲だなぁと思ったのがキッカケ。案の定(?)、プロデュースしているのはagehasprings。YUKIや元気ロケッツでも好きな楽曲が多いチームです。

で、話戻して、生トマパイ。ファンは若い人が多いので、ステージ前のスペースから少し離れたところから、こっそり鑑賞(笑)。黒のジャケットに青の短パンというシックで大人っぽいのか、元気いっぱいなのかよく分からない衣装。ま、中身が可愛ければ、無問題でしょう。喋りとかも少し大人しい気がしますが、「戦わないアイドル」を自称するくらいなので(笑)。

歌は基本リップシンクだったと思いますが、ところどころ、あと「ジングルガール」のセリフとかは、頑張ってました。

正直まだPerfumeブレイク前に感じたような勢いは感じませんし、セールスも思うように右肩上がりとはいっていないようですが、まだ結成2年だし、これからが勝負ですね。

Tomato n' Pine
春のPON!祭りスペシャルステージ
2012年3月22日(木) 日本テレビタワー B2F スペシャルステージ

1. 渚にまつわるエトセトラ
2. なないろ☆ナミダ
3. ジングルガール上位時代
4. 旅立ちトランスファー
5. 夢ノカケラ・・・

2012.03.21

ALL That LOVE、幕張メッセ。米米、TM、PRINCESSx2

TM NETWORK 2012

トップバッターとして登場したのは米米CLUB。初生ライブ体験。TMやプリプリと比べると大好きというほどではありませんでしたが、それでも『GO FUNK』や『5 1/2』辺りはテープにダビングしてかなり聴いていました。「浪漫飛行」は名曲だけど、「君がいるだけで」までいっちゃうとあまり好きじゃない。米米は宴会ノリと言ったら失礼かもしれませんが少しバカバカしいくらいがいいなと思っています。衣装は意外とシックでしたが、エンタテイメント精神は旺盛で、自然に観客が笑顔になってしまう感じ。ホーンセクションまでいる大所帯だからサウンドも華やかだし。そうそう「WE ARE MUSIC!」、何年か前リリースされた復活後の曲だと思うのですが、今回ライブで聴いて改めてイイ曲だなぁと思いました。ジェームス小野田も、序盤とうとうご欠席?と心配になったけど、中盤颯爽と登場して良かった(笑)。昔は凄いメイクしていて、素顔も素性も謎でしたよね。

プリプリの復活は素晴らしかった。パワフルな歌も演奏もそのまま。数年であっさり活動再開したり、安っぽい懐メロ番組で復活して、しかもガッカリさせられたりなんてことも少なくないなか、彼女たちの16年ぶりの復活は最高だったと思います。生でプリプリを見るのは初めてですが、ライブビデオは繰り返しよく見ていたので、一番音楽に夢中だったあの頃がまるで昨日であったかのように、気持ちが一気にあの頃に戻って、奥居あらため岸谷香も言ってたけど、音楽の力を感じた約40分間でした。もっと見たかった!

トリは我らが(?)TM NETWORK。対バンだから、有名曲中心になることは予想されましたが、そのなかで「BEYOND THE TIME」から始め、「Kiss You」や「We love the EARTH」を演奏したのは面白かったです。「Kiss You」カッコ良過ぎ。FENCEのギターフレーズとか、哲ちゃんのキーボードソロとか、相変わらず即興的で、プリプリの「一生懸命練習してきました」との言葉が少し耳に痛い気がしなくもないですが(汗)、ま、それもTMらしいと言えばTMらしいということで。衣装や金髪などは、今回のイベントの趣向から昔のTMを意識しているのかなと思いました。メイクは濃過ぎでしたが(苦笑)、それだけ気合入ってたってことかな。ウツの投げキッス連発も、「オーライ」しか言わない時代さながら(笑)でした。今回は歌いませんでしたが、新曲「I am」も往年のFANKSも比較的受け入れやすいメロディやアレンジの楽曲だし、今後のTMは全体的にこの雰囲気を広げるのか、はたまた変化球が来るのか、来月の武道館を期待して待ちたいと思います。

正直プリプリがトリだろうと踏んでいたので、TMだったのは意外でFANKSとしては嬉しいやら他のファンには申し訳ないやら。周囲からもちらほらそういう声が聞こえました。特にアンコールはTMに対してのみというより、他アーティストも含めてだったと思うので、せめて最後に全出演者が登場するくらいの演出は欲しかったかな。広い会場、もっと縦に横にステージを工夫できなかったかなとか欲を言えばいろいろありますが、細かいことはさておき、プリプリの復活、時を経て80年代を代表する3組が集ったこと、とにかくそれだけで熱くなるステージでした。

過剰に強調はされませんでしたが、このライブは東日本大震災チャリティ。会場へ向かう舗道の不自然な段差と修繕の跡。幕張周辺も土壌の液状化など被害があったことを思い出します。京葉線の車窓を流れる臨海部。ここに大地震や津波が押し寄せたらと考えるとふと不安にもなります。これからもこうして笑顔で音楽を楽しめるよう、東日本大震災の被災地の復興と、あの経験が今後に活かされることを切に願って止みません。

KOME KOME CLUB / TM NETWORK / PRINCESS PRINCESS
ALL That LOVE -give & give-
2012年3月20日(火・祝) 幕張メッセ国際展示場 9・10・11ホール

米米CLUB -
1. 愛 Know マジック
2. 浪漫飛行
3. 君がいるだけで
4. WE ARE MUSIC!
5. 狂わせたいの
6. どうにも止まらない
7. Shake Hip!

PRINCESS PRINCESS -
8. 世界でいちばん熱い夏
9. Diamonds
10.GET CRAZY!
11.M
12.SEVEN YEARS AFTER
13.OH YEAH!
14.ROCK ME

TM NETWORK -
15.BEYOND THE TIME
16.Kiss You
17.We love the EARTH
18.Love Train
19.小室哲哉 Keybord Solo
  (CAROL~humansystem~TIME TO COUNT DOWN)
20.Be Together
21.Get Wild
22.SEVEN DAYS WAR
~ENCORE
23.Self Control

2012.03.18

エルサレム、嘆きの壁、ダビデの塔

午後。ベツレヘムからエルサレムへ戻り、旧市街へ。西側のヤッフォ門から入るとダビデの塔と呼ばれる尖塔や砦があります。景色が一望できるとともに、博物館になっていて簡単にエルサレムの歴史が分かるというので入ってみます。入場料30NIS。

展示は紀元前3,000年のカナン時代から、ローマ、十字軍、イスラム、現代に至るまでのエルサレムの歴史が、史料や模型で解説。アブラハミックと言われるキリスト教、イスラム教、ユダヤ教3宗教に共通する聖地であるため、めまぐるしい歴史を辿ってきたエルサレムの変遷を学べます。英語の解説がちんぷんかんぷんで頭が痛くなったら(笑)、塔の上からは景色が見ながら一休み。意外と狭い区域に建物が雑然と密集するエルサレム旧市街は、まるで展示のジオラマのようにも見えます。

ダビデの塔
▲ダビデの塔。(エルサレム旧市街)

ダビデの塔の展望台から聖墳墓教会
▲ダビデの塔の展望台から、北東を望む。中央の灰色のドームが聖墳墓教会。(エルサレム旧市街)

ダビデの塔を出て、嘆きの壁方面へ向かうべく、一際賑やかなダビデ通りを東に歩いていきます。この西のヤッフォ門から東へ横切る道や、北のダマスカス門から旧市街中央の聖墳墓教会周辺に至る道には、お土産屋や飲食店など無数のお店が所狭しとひしめいていて、一般市民と観光客でごった返し本当に賑やかです。道が狭い上に石畳で結構アップダウンもあってボーッとしていると他人にぶつかったり大変です。屋根があって似たようなお店に囲まれた風景も続くので、慣れないうちはかなり迷子にもなりました。ジャパニーズ!と声掛けてくる同じお土産屋の前を何度も通ってしまったり。

エルサレム旧市街のスーク
▲エルサレム旧市街のスーク。たくさんの様々なお店が密集している。(エルサレム旧市街)

嘆きの壁は、ユダヤ教の聖地であるエルサレム神殿の西外壁跡。周辺は広場になっていて、その入口では手荷物検査があります。壁に近づくには頭頂部を隠す必要があり、キッパも無料で貸し出しています。また男女はエリア別々。敷居で左右に分かれています。もちろん観光客もたくさんいるのですが、黒スーツのユダヤ正統派の人々をはじめ、壁の前で黙々と聖典を読み、真剣に祈る人々を見ると、なんだかパシャパシャ写真を撮ったりするのも少し申し訳ない気持ちになります。壁に積まれた石は上に行くほど新しく、実は広場の地下にもまだ17段埋まっているそうです。地上7段目までは紀元前20年頃のヘロデ王の時代のものだとか。

ユダヤ教の祈り方は分からないけど、近づいて手のひらを当てるとなんだかありがたい気はしてきます。ダビデの塔で解説されていた紀元前から続く歴史を見てきた壁ですしね。70年のユダヤ戦争後、ユダヤの人々はこの壁に近づくことさえなかなか叶わない歴史が約1900年続きますが、1967年の第3次中東戦争でのヨルダンの東エルサレム撤退により実効支配を奪還、現在に至ります。そんな話を聞くと、確かにユダヤ人の思いたるやいかばかりかと同情を禁じ得ませんが、ただ、同時に現在も東エルサレムの領有は国際的に認められたものではなく、またパレスチナ人住民への迫害がしばしば問題となっているのも事実。エルサレムをめぐる混乱の歴史は、いまなお現在進行形だということですね。

嘆きの壁
▲嘆きの壁。ユダヤ教正統派の格好をしたり、キッパを被った人々が祈りを捧げている。目をつぶり壁に額をつける者、椅子に座って聖典を読む者、様々だ。(エルサレム旧市街)

嘆きの壁
▲右が女性、左が男性のエリア。右上の木製の回廊は、壁の上の神殿の丘にあり、現在はイスラム教の聖地となっている岩のドームへ向かう入口。(エルサレム旧市街、嘆きの壁)

ユダヤ人地区
▲嘆きの壁近辺のユダヤ人地区にはユダヤ教の博物館や学習施設も多くある。(エルサレム旧市街)

あるときタクシーの運転手に「日本人は良い人だ。」とお世辞を言われたので、褒め返そうと思い「イスラエル人も・・・」と迂闊に言いかけたところ、「いや!俺はパレスティニアンだ」と強く否定されてしまいます(汗)。エルサレムの街を威圧するように機関銃をぶら下げ闊歩する兵士を指さし、「彼らはああやっていつも武器で俺たちを威嚇して押さえつけるんだ」とパレスティニアンドライバーは、怒っているようにも、呆れているようにも見える顔で言っていました。

2012.03.16

ベツレヘム

3日目。イスラエルでの初めての朝。ホテル近所にあるモスクからの夜明けのお祈り放送に起こされ、中東に来たことを実感。

今日は、ダマスカス門近くターミナルからアラブバスに乗って、隣町のベツレヘムへ行きます。バスで30分ちょっとですが、パレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区のエリア内です。市街中心地から少し離れたところでバスを降ろされ、道も良く分からないしタクシーに乗ろうかと思いましたが、高めにふっかけてくるし市内や近郊を案内するから40NISでどうだとかしつこいので、焦ることもないかと、道を聞きながら歩くことに。ジェスチャーや時にはアラビア語が併記してある地図などを見せながら聞けば、大抵みんな親切に教えてくれます。キョロキョロしていると向こうから、声かけてくれることもあるし。道が分かれば10分と歩かないうちに意外とあっさりと聖誕教会の前の広場までたどり着きます。タクシー乗らなくて正解だったかも。

まずは聖誕教会を一旦スルーして、脇の道を入った先にあるミルク・グロットへ。その名の通り洞窟の上に建てられたミルク色の教会。内装はそれほど派手さはなくシンプルなのですが、聖堂のある洞窟は壁面が少しピンクがかった白で可愛らしい雰囲気。ここで聖母マリアが生まれたばかりのイエスに母乳を与え、零れた滴が赤茶けた洞窟を真白く染めたという伝説があるそうです。

ミルク・グロット
▲ミルク・グロット。白い洞窟の教会。(ベツレヘム)

聖誕教会へ。降誕教会、生誕教会とも呼ばれ、英語だとNativity Church。イエス生誕の場所に建てられた教会。ベツレヘムのメインスポットです。イエスが処女マリアから生まれ出たとされる洞窟は祭壇になっていて、日々数多くのキリスト教信者が礼拝に訪れています。僕が訪れたこの日も、百人は優に超える多くの巡礼者や観光客が行列を成していて、祭壇のある部屋には小さな入口から数人ずつしか入れない上、熱心にお祈りする人も多く、なかなか列は進みません。せっかくここまで来たのだしと並び始めたものの、祭壇の前にたどり着くまで1時間以上かかりました。

聖誕の場所が洞窟ということで、まず「あれ!?イエスって馬小屋で生まれたとかいう話じゃなかったっけ!?」と思ったのですが、福音書や宗派の伝承によって異なり、洞窟としているものもあれば、家畜小屋としているものもあるとか。イエスは、紀元前4~6年頃生まれたとみられていますが、ベツレヘムで生誕したということ自体、旧約聖書の預言に沿って作られたという可能性もあり、詳細はいろいろ定かではないようです。イエス降誕への礼拝のための一つのシンボル、聖地としての教会であり、その歴史的事実の正否はさして重要ではないのかもしれません。

聖誕教会
▲聖誕教会。外陣。(ベツレヘム)

聖誕教会
▲イエス降誕の場所への狭い入口に行列する人々。(ベツレヘム、聖誕教会)

聖誕教会、イエス降誕の場所
▲イエス降誕の場所には星の型が埋め込まれている。(ベツレヘム、聖誕教会)

ベツレヘムの街を歩く。スークを散歩して、その後、メンジャー通りを北へ。途中ダビデの井戸や聖ヨセフの家といったスポットにも寄ろうとしますが、ちょうどお昼過ぎだったからか両方とも残念ながらクローズ。

仕方ないので、そのさらに少し先へ行ったところにあったシュワルマ・キングという店でとりあえず昼食。炙った肉を薄く削ぎ落としたシュワルマを、ホブスやピタと呼ばれる薄く平たいアラブパンで巻いて食べます。トルコ料理でいうドネルケバブです。肉はマトンかな?美味しかったです。パンは小さめのピタサンドやバゲットサンドも選べて、サラダやソースのトッピングは自由。ひよこ豆のペーストやオニオンスライスから、真っ赤なキムチのようなピクルスまでトッピングもいろいろ。セルフサービスだけど、不慣れな僕には従業員がオススメを選んでくれました。

こん棒のようにぶっ太くボリュームたっぷりで15NISだったかな。ベツレヘムではミネラルウォーターも1Lで6NISとかで、物価はエルサレム市内よりだいぶ安いみたい。

シュワルマ
▲シュワルマ。ホブスに巻いてボリュームたっぷり。どこでもだいたいこんな感じ。テイクアウトでも気軽に食べれる。

シュワルマ・キング
▲シュワルマ・キングの店内。キングと名を冠している割には質素な店内。イエスが生誕した場所というだけあって、一年中"Merry Christmas"の飾りつけがしてあるみたい。パレスチナ人、アラブ人というとイコールムスリムと想像しがちだけど、ここにはたくさんのクリスチャンのアラブ人が暮らしている。

パワー充填完了し、メンジャー通りをさらに北へ。行きはバスでベツレヘム市街までスルーでしたが、帰りのバスは検問を受けた先でしか乗れないと聞き、チェックポイントへ向かいます。聖誕教会などがある中心地から2~3kmは離れていますが、街の散策も兼ねて徒歩。途中道に迷ってしまいぷらぷらしていると、イスラエル軍らしき兵隊と遭遇。何やら建設途中だか廃墟だか分からないビルの上にいる人と距離を置いて話しています。緊迫しているのかいないのかよく状況は分かりませんが、とりあえず巻き込まれないよう足早に通り過ぎます。近くで高校生らしき子に道を尋ねるついでに、「何が起きているの?」と聞いてみましたが、「英語では説明できないし、詳しくは分からない」と言われました(苦笑)。冷ややかに「似たようなことはしょっちゅうだ」みたいにも言ってました。

チェックポイントが近づくにつれて、延々と街を隔てる高く厚い壁が見えてきます。イスラエル側によりほぼ一方的に築かれた物々しい分断壁です。そこに描かれたパレスチナ解放や平和を訴えるペイントアートや落書き。ガザ地区はハマースに実験を奪われ自治政府の統制が及ばず、ヨルダン川西岸地区はイスラエルの入植や支配地域も少なくない独立には程遠い状況のパレスチナ。その歪みはそこかしこに見ることが出来ます。

チェックポイントだけは、金属探知機やパスポートチェックを受け、まさに国境さながら。軽い手荷物一つでカメラ片手のいかにもな日帰りお気軽な観光客の僕にも、自治区ではどこへ何しに行ったか、イスラエルに戻ってどこへ行く等々、お得意の容赦ない質問責め。ユダヤの歴史やイスラエルの立場を考えると仕方がないのかなとは思いますが・・・。

チェックポイント出てすぐのところで、エルサレム行きのバスに乗ります。帰り道、丘に建物が密集する要塞のような集落が見えます。パレスチナ自治区内のイスラエル入植地。約1900年ぶりに帰ってきた元住人は、居間やキッチンを乗っ取り、話し合いで現在の住人のものと決めたはずの部屋にまで荷物やら何やらを置き始め、注意すると俺たちはこれまで散々で大変だったんだぞと逆ギレする。なんかそんないまひとつ納得できない、煮え切らない感じ。行き過ぎたシオニズム、選民主義は、新たな離散の悲劇を産むだけではないのか。彼らはなぜ自らの受けた耐え難い苦しみを他人に与えるのか、そんな拭い去れない疑問で悶々としながら車窓を流れゆくパレスチナの景色を眺めました。

イスラエル兵とパレスチナ人
▲兵士に緊張感は感じられないものの、何やらお取込み中・・・。(ベツレヘム)

パレスチナ自治区の分断壁
▲パレスチナ自治区の分断壁。イスラエルが一方的に築き警備している。(ベツレヘム)

パレスチナ自治区の分断壁
▲壁に書かれた落書き。パレスチナ解放や平和を訴えるような図柄も少なくない。(ベツレヘム)

Dscf8806
▲チェックポイントへ向かう道。鉄格子に囲まれている。(ベツレヘム)

チェックポイント
▲チェックポイント。何重にもフェンスや建物を通過しなければならない。特にイスラエル側に入る際のチェックが厳しい。(ベツレヘム)

ユダヤ人入植地
▲パレスチナ自治区の地域内に築かれたイスラエルのユダヤ人入植地。周囲を壁で囲み、まるで要塞のよう。イスラエルの強硬な意志、執念が見える・・・。

2012.03.10

イスラエルへ

ドバイとアンマンで2度乗り換え。ドバイではターミナル移動であたふた。アンマンでは、係員らしきアラブ人2人に声をかけられ何かと思いきや、「日本のカールは最高だ。」と言われる。なんでヨルダン人がお菓子のカールにそんなに感動しているんだ!?と混乱していると、「カールだよカール!三菱の4WDは最高。ヨルダンでも人気だ。ホンダ、BMWもイイね」。"r"の発音にクセがあり過ぎ。どうやらカー、クルマのことだったらしい。BMWはドイツだけどね・・・と丁重に突っ込むと、「それはすまない。ま、とにかくあれだ、ヨルダンは日本と友達ということだ」。

そんなこんなでほぼ丸1日かけ、20日のお昼前、イスラエルのベン・グリオン国際空港に到着。機を降りてボーディングブリッジを渡りエスカレータを昇ると、待ち構えていた若い係員に呼び止められる。いきなりの質問責め。目的は?どこへ行く?人と会う約束はあるか?イスラエルに友人はいるか?仕事は何だ?会社名は?社員証は持っていないか?等々・・・。社員証なんぞ持ってくるかなぁ、会社名聞いてどうするのんかなぁなどと疑問に思いつつも、ここで彼に下手に疑われたり嫌われでもしたらややこしいことになりかねないので誠実に一つ一つ回答します。時間にしたら数分だったとは思いますが、セキュリティの厳しさは噂には聞いていたものの、不意打ちに少し緊張してしまいました。

兄ちゃんの手厳しいウェルカムをどうにかクリアしたら、やっとイミグレーション。しかしこれがまた大行列・・・。30分以上はゆうに待ったかと。列に並びながら、別室に連れて行かれる人がちらほらいるのを見てまた少し緊張。自分は何も悪いことしていないのに(苦笑)。結局、待ったものの、審査自体は他国より少ーし厳しいくらいでスムーズに通過。ほっと一安心。

入国しただけでなぜか少し達成感が(笑)。万一の場合数時間かかることも覚悟していたことを考えれば、まずまずの滑り出しでしょう。

到着ロビーから外へ出たら、すぐにエルサレム行きのシャトルバス(シェルート)だが乗らないか?と声をかけられる。バンを一回り大きくしたくらいのミニバス。乗客がそこそこ集まったら出発。空港はロッドという街にあり、エルサレムまでは約1時間。56NIS、1300円程度(1NIS(シェケル)約23円)。

ずっと行きたかったイスラエルです。春にイランへ先制攻撃するかもとか、隣のエジプトも選挙が近くどうなるか分からないといったなか、行っておくなら今しかないと決断しました。今回は自由旅行の一人旅。車窓の向こうに広がるゴロゴロした石の多い荒野、そして「<-Jerusalem」の看板。いやが上にも胸が高鳴ります。

旧市街ダマスカス門の近くでバスを降り、予約を取っているオリーブの丘にあるホテルへ向かいます。地図を見たら1.5kmくらい、節約とのんびりと歩き出したものの、途中昇り坂が続いていて少し大変でした。でも坂から見渡せるユダヤ人墓地やケデロンの谷、そして旧市街の展望は、エルサレムに来たー!感でいっぱい。

チェックインし一休みして、まだ15時過ぎくらいだったので、散歩へ出てみます。この日は、ホテルから一番近い聖ステパノ門(ライオン門)から旧市街に入って、少しうろうろした程度。それでももうそこはイエスが十字架を背負ってゴルゴタの丘へ向かって歩いたというヴィア・ドロローサ(悲しみの道)の一端。石畳の道、ひしめくように並ぶ教会や建物、賑やかな商店街。2,000年前イエスが訪れた時にも既にかなりの街だったらしいですから、その頃と変わらない雰囲気も残っているのかな、とか想いに耽けつつ。明日から本格的にいろいろ見て回るのが楽しみです。

エリコ通りの坂から
▲オリーブの丘にあるホテルへ向かう途中、エリコ通りの坂から。眼下にはユダヤ人墓地やケデロンの谷が広がり、旧市街を一望。(エルサレム、オリーブの丘)

旧市街の風景
旧市街の風景
▲旧市街の風景。石畳の道、階段がどこまでも続く。(エルサレム旧市街)

お菓子やミネラルウォーター
▲お菓子やミネラルウォーター。食料品にはコシェルかノンコシェルか(ユダヤ教の食料規定に沿っているか否か)の記載があったりする。

新シェケル紙幣
▲新シェケル紙幣。

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