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旅行・地域2011-

2012.04.10

イスラエル博物館の死海写本、イスラエル鉄道でテルアビブへ

イスラエル博物館へ。周辺はエルサレム新市街の静かで緑の多いエリアで、近くにはクネセットと呼ばれる国会議事堂などがあります。

http://www.english.imjnet.org.il/

目的は、何といっても死海写本。博物館の要であり、壺のような不思議な形状をした専用館に展示されています。なんとも芸術的で厳かな雰囲気の展示館には、死海写本の数々のページの他、一緒に発掘された陶器等の史料も納められています。死海写本は、紀元前後に書かれた約850巻にも渡る世界最古の聖典の写本。現在のキリスト教の聖書とは異なる記述があり、またしばらく一部文書がなかなか公表されなかったこともあって、何かバチカンが恐れるようなこと、あるいは世界を揺るがすようなことが記述されているんじゃないかとオカルト的な噂が起きたことも。僕がすぐ連想したのは、新世紀エヴァンゲリオン(笑)。死海文書って出てきましたよね。エヴァンゲリオンは「福音」という意味で、聖書をモチーフにした設定が多いですものね。

イスラエル博物館の死海写本館
▲イスラエル博物館の死海写本館。外壁には、常に噴水がかかっている。(エルサレム)

写本自体は主にヘブライ語で書かれており、博物館では英語でも解説が添えられています。英語解説もほとんど何書いてあるのかは分かりませんが(苦笑)、主にイザヤ書など旧約聖書に共通するような文書と、発見されたクムラン近辺の伝統的なユダヤ教の文書があるようです。戦後1947~1951年に死海沿岸の7つの洞窟に隠されているのを発見したということですが、2,000年前のものとは思えない保存状態で、修復はしているのでしょうが、くっきり字を読むことが出来るというのは、凄いことです。ちなみに、近年ネットでの文書の公開も進んでいます。

http://dss.collections.imj.org.il/

博物館ではその他、ユダヤの生活、民族、宗教に関する展示、美術棟や考古学棟もあります。1/50スケールだという巨大なエルサレムの模型や、ユダヤ伝統の衣装を一人の人間の誕生から葬式までの時系列で展示してあったのが興味深かったです。現代美術展やエジプト考古学の展示などもありました。

第2神殿時代のエルサレム模型
▲巨大なエルサレム模型。紀元前500年~紀元後70年の第2神殿時代のエルサレムを1/50で再現。(エルサレム、イスラエル博物館)

博物館を出たのが14時前、このまま旧市街方面に帰るのも面白くないかなということで、イスラエル鉄道に乗ってみたかったことを思い出し、エルサレム・マルハ駅へ向かいます。多くのクルマが行き交う歩行者があまりいない大通りを、軽い気持ちで歩き出します。しかし、ガイドブックの詳細な地図は駅近辺の肝心なところの手前で切れていて、余所者など僕以外にはいないような閑静な住宅地に迷い込んだり、思いのほか苦労。人に聞いては、また迷子、みたいな調子で、1時間以上は裕に歩きました。駅名にエルサレムと付いているものの、エルサレム「地区」のマルハという隣町で、エルサレム市街からはかなり遠いです。駅もまた何気に地味!駅前の駐車場や構内も閑散としています。一度駅と気付かず通り過ぎてしまったほど(苦笑)。高速列車を導入し、改修、延伸など進めているようですが、まだまだこの辺の主要な公共交通はバスのようです。

http://www.rail.co.il/

エルサレム・マルハ駅
エルサレム・マルハ駅
▲エルサレム・マルハ駅。エスカレータを昇るとセキュリティの女性兵士が暇そうにしていた。(マルハ)

イスラエル鉄道、テルアビブ・エルサレム線

▲イスラエル鉄道、テルアビブ・エルサレム線。(マルハ、エルサレム・マルハ駅)

テルアビブ・エルサレム線。列車はだいたい1時間に1本くらい。出発が遅くなってしまったけど、せっかくなのでテルアビブまで乗ってみることにします。21.5NIS、所要時間約1時間30分のプチ鉄道の旅。

車両はそこそこ新型の雰囲気。乗り心地も悪くありません。車内はそこそこ清潔。ただ、窓が薄汚れていて、ナチュラルUVカット(笑)、景色が見辛かったのが残念。駅は終点まで8つくらいですが、出発時ガラガラだった座席も、途中駅で次第に乗客が増えていきました。

終点の1駅手前、テルアビブ・ハシャローム駅で、下車。時間は18時前。帰りの時間を考えるとあまり時間がないので、とりあえずウインドウショッピングでもして帰るかと、駅直結のショッピングセンターに寄ってみます。

アズリエリ・ショッピング・センター。高級ブランドからH&Mなどファストファッションまで日本でもおなじみのアパレルや貴金属、化粧品、雑貨などのお店がたくさん。大きくて近代的なショッピング・センターです。

少しテルアビブの街を歩いてみます。エルサレムよりも大都会で、洗練されている印象。ムスリムが少ないこともあってか少し欧州的な雰囲気も。イスラエルの経済、文化の中心地で、人口の40%が住むという都市。イスラエルは首都をエルサレムと主張していますが、国際的には認められておらず、大使館などはここテルアビブにあるそうです。普通に平穏に暮らすなら紛争の火種のあるエルサレムよりテルアビブでしょうね。

テルアビブ・ハシャローム駅
▲テルアビブ・ハシャローム駅。(テルアビブ)

テルアビブ
▲テルアビブ。高層ビルが立ち並ぶイスラエル一の大都会。(テルアビブ)

帰りはバスを使うことに。降りたハシャローム駅の隣駅、ハガナ駅近くにあるセントラルバスステーションへ。バスステーションとしては世界最大と言われるほど広大な建物なのですが、だだっ広く、各フロアーの接続も階段やエスカレータが微妙な感じで、なんだかいろいろ分かり難い。広過ぎるのか動線に問題あるのか、テナントも入らずほとんど使っていないフロアがあります。しかしエリアによってはお店もたくさんあります。乗り入れている路線も多いですし、建物の複雑さも相まってか、セントラルバスステーションに限って言えば、エルサレムよりテルアビブのほうが雑多な印象。

テルアビブ・セントラル・バスステーション
▲テルアビブ・セントラル・バスステーション。(テルアビブ)

エルサレムへのバスは夜遅くまで頻発。お腹も空いたので、今回の旅初のマクドナルドに入店。ヘブライ語オンリーのメニューに戸惑い焦ります。適当に指差すと、お子様向けのメニューだったり(苦笑)。むしろシュワルマ屋のほうが余裕だったかも・・・などと少し後悔しつつ、結局、チキン・テキサスなるものを注文。一時期日本でも発売されたテキサスバーガーのチキン版。ちなみに、イスラエルにはユダヤ教の食事規定コシェル専門のマックもあるのだとか。ここは違うようでしたが、チーズを使ったメニューはなかったように思います(コシェルでは、肉と乳製品を一緒に食べるのはNG)。シェイクらしきものはあったけど、そういえば、シェイクとバーガーを一緒に食べるのはいいのかなぁ!?・・・分かりませんね。

余談ですが、イスラムもユダヤも、血抜きには厳密で、アラブ圏のマックはそれにあわせた食肉の処理をしているらしいです。またコシェルでは、ひれやうろこのない水棲の生き物、エビ・カニなどの甲殻類、貝類やイカ、タコといったものもダメだそうです。シーフード厳しいですね・・・。ユダヤ人のどのくらいの人が、どの程度厳格に守っているのか知りませんが、スーパーで売ってる製品にもコシェルマークがあるくらいなので、結構厳守している人も多いのかな。

http://www.mcdonalds.co.il/

バスでうとうとしながら1時間ちょっとでエルサレムへ帰還。21時過ぎ、新市街の街を歩いてホテルまで帰りました。夜は人通りが少なくて、東エルサレムとかはちょっと不安にもなりますが、治安はまずまずではないかと思います。夜中の一人歩きなどしないにこしたことはありませんが、犯罪とかレベルの治安は極端に悪いとかいうことはないようです。むしろ一番怖いのは、睨みをきかせている軍や警察だったりして・・・。ホテルへの帰り道、ステバノ門手前の坂のところに必ずと言っていいくらい軍や警察が居て、毎日のように何をしている?どこへ行くんだ?と聞かれました。何日か滞在しただけで嫌気が差すくらいですから、エルサレム住民の人たちのストレスたるやいかばかりか・・・。旅行者は笑顔できちんと答えていれば、ほとんどややこしいことにはなりませんが、パレスチナ系の住民などは謂れのない難癖を付けられたりってこともあるのかもしれません。

エルサレム旧市街の夜景
▲エルサレム旧市街の夜景。エリコ通りの坂から。(エルサレム)

ホテル近くのシュワルマの店
▲エルサレム滞在中、何回か食事に立ち寄ったホテル近くのシュワルマの店。チキンサンドやハンバーガーもあった。(エルサレム)

2012.04.08

神殿の丘、シオンの丘

今日はまず神殿の丘へ行く計画。朝ホテルを出て、ケデロンの谷を横切り、糞門から旧市街へ。糞門とは凄い名前ですが、昔ここから排泄物を運び出していたのだとか。門を入ると近くに神殿の丘西南側の入口があるのですが、アラブ人はそこも含めてモロッコ門とも呼ぶそうです。

神殿の丘の入口前には、既に何百人の観光客の大行列。ツアー団体客も多く、僕がどこに並ぼうかあたふたしていると、おばちゃんにここに並びなさいよと声掛けられます。おばちゃんたちはイギリスからツアーで訪れているのだとか。夫だというおじさんがビシっと立ち超丁寧に挨拶してくるので、その英国紳士然とした態度に少しこちらが照れてしまうというか、失礼ながらちょっと笑ってしまうほど。「ロンドン何年か前に行きましたよ。素敵な街ですね。」と言ったら、「東京は忙しない街だね。」と返されました(苦笑)。あとはやっぱり地震や福島の話になったり。

まったく進まない列。その間、何度もピーヒャラドンドン、太鼓や笛を鳴らしながらユダヤ人の祭列が嘆きの壁へ向かって通り過ぎていきます。英国紳士に詳しいことを知っているか聞いてみたところ、成人の儀式だとのこと。13歳になると親族をあげてこうしてパレードをしたりして祝うのだとか。

神殿の丘の冬季の入場は、午前7時30から10時までとお昼1時間のみ。金土は休みで、この日は木曜日。僕にとっては最後のチャンス。どんどん10時が迫ってきて焦っていると、団体客の方々が次々に先にどうぞと譲ってくれて、だいぶ前方へ。結果1時間30分くらい待ったものの、滑り込みセーフ。10時5分前くらい(汗)。アッラーが偉大だからか、ヤハウェが慈悲深いからか。とりあえず、ありがとうイギリスやイタリアのおばちゃんたち。

どうにか入場は果たしたものの、いつ追い出されるか分からなかったので、早足に見て回ります。と言っても、建物内はムスリム以外は入れないので、外観を見る感じ。ここに建っていたユダヤの神殿は紀元後ほどなくしてローマに破壊され、7世紀その上にはモスク等が建てられ、そして現在またイスラエルの実効支配を受けています。エルサレム、パレスチナを象徴するような場所。

岩のドームの中には、名前の通り巨大な岩があります。ここから大天使ガブリエルに導かれムハンマドが昇天し、アッラーと会い、戻ってきたというミウラージュという伝承があり、また、最後の審判の日、すべての魂がここに集まる「魂の井戸」ともされています。イスラム教3大聖地の一つです。また、アブラハムが息子イサクを神に捧げようとした場所とも言われ、イスラム教と同じアブラハミックであるユダヤ教、キリスト教にとっても神聖な場所なのだそうです。ブルーのタイル、幾何学模様が美しい岩のドームの外観は、16世紀オスマン朝スライマーン1世によって施されたものだとか。

アル・アクサー・モスクは、丘の南側に、前述のミウラージュを記念し建てられたモスク。創建当時の面影はほとんど残ってはいないものの、イスラム教最初期のモスクの一つだそうです。

入場して30分もしないうちに、お昼休みだからか?係員が巡回し、観光客と思しき人たちを追い出しにかかり始めました。しかし、外観のみですので、一通りは見て写真も撮りましたし、神殿の丘に無事入れただけでもよしとしたいと思います。

アル・アクサー・モスク
▲アル・アクサー・モスク。南側からの遠景。(エルサレム旧市街)

岩のドーム
岩のドーム
▲岩のドーム。(エルサレム旧市街、神殿の丘)

入場したモロッコ門とは違う門から神殿の丘を出て、旧市街のムスリム地区、ユダヤ人地区を歩きます。旧市街は、キリスト教徒、ムスリム、ユダヤ人、アルメニア人と、地区が分かれていて、街並みの雰囲気も少しずつ違ったりして面白いです。特に雑多で活気のあるムスリム地区と静かで画廊や書店などがあるユダヤ人地区などは対照的。東エルサレムをヨルダンが治めていた時には、その境の扉は閉ざされ、兵士が警備する国境だったのだとか。現在の旧市街は一見そこそこ仲良く暮らしているようにも見えますが、実際は対立の歴史もあって、決して混じり合わず分かれて住んでいるような現実がある。不思議だけど、実は世界の縮図でもあるような、そんな街。

旧市街、地区の境
▲ムスリム地区とユダヤ人地区の境の扉。向こうがムスリム地区。(エルサレム旧市街)

南西にあるシオン門から旧市街を出て、シオンの丘へ。門からすぐ、ユダヤ教のシナゴーグなどがある建物の中に、ダビデ王の墓があります。部屋に置かれた石棺にはベルベットの布がかけられています。ユダヤ人と思しき人々が祈りを捧げています。ダビデはイスラム教でも預言者とされていますが、ムスリムは近づき難い雰囲気。ただし、ここが本当にダビデの墓であるかは異論も多いそうです。

ダビデ王の墓近くの建物の2階には、最後の晩餐の部屋と呼ばれる部屋もあります。そう、ダビンチの名画でも有名なイエスの「最後の晩餐」を行ったとされる部屋です。しかしながら、正直その面影はかけらもありません。現在の建物は十字軍が建てたもので、さらに15世紀には部屋はイスラムの礼拝所に改修されています。イエスと弟子たちが食事をしたテーブルでも残っていれば気分も盛り上がりますが、・・・それはそれで嘘くさいかな。

ダビデ王の墓
▲ダビデ王の墓。(エルサレム、シオンの丘)

最後の晩餐の部屋
▲最後の晩餐の部屋。ミフラーブもある。(エルサレム、シオンの丘)

2012.03.23

マサダ、死海、エルサレム新市街

ヤッフォ通りを走るLRT
▲ヤッフォ通りを走るLRT(トラム)。昨年2011年末開通した。(エルサレム新市街)

今日はマサダと死海を見に行く計画。マサダ行きのバスに乗るために、まずはタクシーでホテルからセントラル・バスステーションへと向かいます。しかし、朝の渋滞もあって、乗ろうと考えていた8時発のバスには間に合わず。あとになって、タクシーよりもLRT(トラム)のほうが良かったなと後悔しましたが、バスは1時間毎に出ているみたいだし焦っても仕方ないかと、バスステーション内をぷらぷら。

エルサレムのセントラル・バスステーションは、新市街の西にあって、ターミナルになっている3階部分裏手からバスが出られるような造りになっています。建物の中は結構広くて、飲食店から洋服までいろいろなテナントもあります。バスの時間まで、サンドイッチ店でサンドイッチとコーヒーシェイクのセットで朝食。

エルサレム・セントラル・バス・ステーション
▲セントラルバスステーション。兵士だらけの発車待合ロビー。(エルサレム新市街)

http://www.egged.co.il/Eng/

バスはエゲッドバスという元国営バス会社。料金は乗車時に運転席で支払います。エン・ゲディまで所要約1時間30分で36NIS。さらにマサダまでは所要約1時間45分で42NIS。エルサレムを出て、約1時間くらい行くと、荒涼とした土地の向こうに死海の美しいブルーの湖面が見えてきます。バスはそのまま乗っていればマサダまで行きますが、死海を車窓から眺めるだけというのももったいないので、エン・ゲディという場所のパブリックビーチ近くでバスを途中下車してみます。

http://www.deadsea.co.il/

シーズンオフということで、人影はまばら。ちょっとしたレストランやお店もありますが閉まっていました。ビーチは無料で入場OK。とりあえず湖岸まで近づいてみます。天気は最高に良かったのですが、風が強く、体感温度は十数度といったところ。寒くて湖面は波立ってるし、水の中に入るのはやめておきました。何人か入っている人はいましたが、みんな唇紫で震えていました。死海というとまず浮かぶのは、優雅に浮いて新聞や本を読んでいるイメージですが、この日は無理。当たり前ですが、あれを体験したいなら来るのは夏ですね(苦笑)。試しに、死海の水を舐めてみます。苦い!塩分濃度は約30%、海の10倍らしいです。ビーチと銘打っていますが、湖岸は急斜面の下で石ころだらけです。有料のスパリゾートでは泥ビーチで泥パックが出来たりもするみたいです。

塩害などもあってか、死海の周囲は緑もまばらで、また一見美しい水の中に魚は生息していないんですよね。そうそう、死海一帯は世界で一番低い地表でもあるとか。一番高いチョモランマに登頂するのはなかなか難しいですが、低い方はバスで来れますね(笑)。

パラソルなどがある休憩用のスペース
▲パラソルなどがある休憩用のスペース。この先が急斜面になっていて、ビーチ(死海の湖岸)はその下。(エン・ゲディ、パブリック・ビーチ)

エン・ゲディ、パブリック・ビーチ
▲シーズンオフの寒いなか泳いでいる(浮かんでいる?)強者も。(エン・ゲディ、パブリック・ビーチ)

死海の湖岸
▲波は泡立ち、塩が結晶化してくっ付いた石が転がる。(エン・ゲディ、パブリック・ビーチ)

再びバス停からバスに乗り15分もすると、たくさんの4~500mの岩山の合間に、マサダの遺跡を有する岩山が姿を現します。遺跡は岩山の頂上部にあり、麓から徒歩またはロープウェイで登ります。売店やレストラン、フードコート、ちょっとした史料展示などがあるビジターセンターでチケットを購入、もちろんロープウェイです。

岩山の急な壁面を登ると、頂上部は南北600m東西300m程度の比較的なだらかな台地となっており、一面に要塞跡があります。紀元前120年頃から要塞が築かれ、(紀元後)73年頃には、ユダヤ戦争の最後まで抵抗したユダヤ人が約2年間立て籠もり集団自決した場所。数百年に渡りその場所さえ不明となっていましたが、1838年に発見されたそうです。

要塞はローマ帝国軍に破壊されたそうですが、シナゴーグ(ユダヤ教の会堂)や浴場、住居、倉庫など様々な建物跡が発掘されています。後のビザンチン時代の(キリスト教)教会跡なんかもあって、ここでは現在も何やら儀式が行われていました。

見渡す限り広がる荒野と美しい死海の景色も素晴らしいです。壮大な絶景ですが、どこか寂しさというか静けさを帯びている感じがしました。このような場所に要塞を築いたというのも、またそこに1,000人近い人々が数年も立て籠もったというのも驚きです。マサダは現在、国防軍の入隊式が行われるなど、ユダヤ人にとって民族の苦難に思いを馳せ、国家への忠誠を誓う特別な場所だといいます。「マサダの悲劇は二度と繰り返さない」との誓いは、ユダヤ人の民族と国家への頑強なまでの思いへとつながっているのでしょう。

マサダの岩山
▲少し離れた死海湖岸から見たマサダの岩山。(マサダ)

マサダのロープウェイ駅
▲ロープウェイ、山頂駅。数分で頂上へ。徒歩だと1時間はかかるらしい。(マサダ)

マサダから死海南方を眺める
▲マサダから死海南方を眺める。(マサダ)

マサダ
マサダ
▲多くは破壊されたが、壁の漆喰や床のモザイクなどが残っているところもある。(マサダ)

北の宮殿跡
▲北側の壁面には、ヘロデ大王が建てたという北の宮殿跡がある。(マサダ)

夕方、エルサレムへ戻り、ホテルへの帰りがてら新市街を少し歩いてみます。マハネー・イェフダー市場は、生鮮食品や飲食料品などが集まった市場。ヘブライ語の看板が多いなど、アラブ系のスークとは少し雰囲気が違うかな。旧市街へと向かうメインストリート・ヤッフォ通りを歩きつつ、時たま一本二本入ったベン・イェフダー通りなどを散策。たくさんのお店があり賑やか。途中AHAVAのお店があったので、これだけは忘れず買っておこうと思っていた死海の塩の石鹸をお土産に買います。2個で70NIS。石鹸にしては高いですが、4個買ったら2個オマケしてくれました。

http://www.ahava.com/

マハネー・イェフダー市場
▲マハネー・イェフダー市場。(エルサレム新市街)

ヤッフォ通り
▲ヤッフォ通り。(エルサレム新市街)

ユダヤの帽子キッパ専門店
▲行こうみんなでキッパマン!♪ユダヤの帽子キッパ専門店。(エルサレム新市街)

2012.03.18

エルサレム、嘆きの壁、ダビデの塔

午後。ベツレヘムからエルサレムへ戻り、旧市街へ。西側のヤッフォ門から入るとダビデの塔と呼ばれる尖塔や砦があります。景色が一望できるとともに、博物館になっていて簡単にエルサレムの歴史が分かるというので入ってみます。入場料30NIS。

展示は紀元前3,000年のカナン時代から、ローマ、十字軍、イスラム、現代に至るまでのエルサレムの歴史が、史料や模型で解説。アブラハミックと言われるキリスト教、イスラム教、ユダヤ教3宗教に共通する聖地であるため、めまぐるしい歴史を辿ってきたエルサレムの変遷を学べます。英語の解説がちんぷんかんぷんで頭が痛くなったら(笑)、塔の上からは景色が見ながら一休み。意外と狭い区域に建物が雑然と密集するエルサレム旧市街は、まるで展示のジオラマのようにも見えます。

ダビデの塔
▲ダビデの塔。(エルサレム旧市街)

ダビデの塔の展望台から聖墳墓教会
▲ダビデの塔の展望台から、北東を望む。中央の灰色のドームが聖墳墓教会。(エルサレム旧市街)

ダビデの塔を出て、嘆きの壁方面へ向かうべく、一際賑やかなダビデ通りを東に歩いていきます。この西のヤッフォ門から東へ横切る道や、北のダマスカス門から旧市街中央の聖墳墓教会周辺に至る道には、お土産屋や飲食店など無数のお店が所狭しとひしめいていて、一般市民と観光客でごった返し本当に賑やかです。道が狭い上に石畳で結構アップダウンもあってボーッとしていると他人にぶつかったり大変です。屋根があって似たようなお店に囲まれた風景も続くので、慣れないうちはかなり迷子にもなりました。ジャパニーズ!と声掛けてくる同じお土産屋の前を何度も通ってしまったり。

エルサレム旧市街のスーク
▲エルサレム旧市街のスーク。たくさんの様々なお店が密集している。(エルサレム旧市街)

嘆きの壁は、ユダヤ教の聖地であるエルサレム神殿の西外壁跡。周辺は広場になっていて、その入口では手荷物検査があります。壁に近づくには頭頂部を隠す必要があり、キッパも無料で貸し出しています。また男女はエリア別々。敷居で左右に分かれています。もちろん観光客もたくさんいるのですが、黒スーツのユダヤ正統派の人々をはじめ、壁の前で黙々と聖典を読み、真剣に祈る人々を見ると、なんだかパシャパシャ写真を撮ったりするのも少し申し訳ない気持ちになります。壁に積まれた石は上に行くほど新しく、実は広場の地下にもまだ17段埋まっているそうです。地上7段目までは紀元前20年頃のヘロデ王の時代のものだとか。

ユダヤ教の祈り方は分からないけど、近づいて手のひらを当てるとなんだかありがたい気はしてきます。ダビデの塔で解説されていた紀元前から続く歴史を見てきた壁ですしね。70年のユダヤ戦争後、ユダヤの人々はこの壁に近づくことさえなかなか叶わない歴史が約1900年続きますが、1967年の第3次中東戦争でのヨルダンの東エルサレム撤退により実効支配を奪還、現在に至ります。そんな話を聞くと、確かにユダヤ人の思いたるやいかばかりかと同情を禁じ得ませんが、ただ、同時に現在も東エルサレムの領有は国際的に認められたものではなく、またパレスチナ人住民への迫害がしばしば問題となっているのも事実。エルサレムをめぐる混乱の歴史は、いまなお現在進行形だということですね。

嘆きの壁
▲嘆きの壁。ユダヤ教正統派の格好をしたり、キッパを被った人々が祈りを捧げている。目をつぶり壁に額をつける者、椅子に座って聖典を読む者、様々だ。(エルサレム旧市街)

嘆きの壁
▲右が女性、左が男性のエリア。右上の木製の回廊は、壁の上の神殿の丘にあり、現在はイスラム教の聖地となっている岩のドームへ向かう入口。(エルサレム旧市街、嘆きの壁)

ユダヤ人地区
▲嘆きの壁近辺のユダヤ人地区にはユダヤ教の博物館や学習施設も多くある。(エルサレム旧市街)

あるときタクシーの運転手に「日本人は良い人だ。」とお世辞を言われたので、褒め返そうと思い「イスラエル人も・・・」と迂闊に言いかけたところ、「いや!俺はパレスティニアンだ」と強く否定されてしまいます(汗)。エルサレムの街を威圧するように機関銃をぶら下げ闊歩する兵士を指さし、「彼らはああやっていつも武器で俺たちを威嚇して押さえつけるんだ」とパレスティニアンドライバーは、怒っているようにも、呆れているようにも見える顔で言っていました。

2012.03.16

ベツレヘム

3日目。イスラエルでの初めての朝。ホテル近所にあるモスクからの夜明けのお祈り放送に起こされ、中東に来たことを実感。

今日は、ダマスカス門近くターミナルからアラブバスに乗って、隣町のベツレヘムへ行きます。バスで30分ちょっとですが、パレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区のエリア内です。市街中心地から少し離れたところでバスを降ろされ、道も良く分からないしタクシーに乗ろうかと思いましたが、高めにふっかけてくるし市内や近郊を案内するから40NISでどうだとかしつこいので、焦ることもないかと、道を聞きながら歩くことに。ジェスチャーや時にはアラビア語が併記してある地図などを見せながら聞けば、大抵みんな親切に教えてくれます。キョロキョロしていると向こうから、声かけてくれることもあるし。道が分かれば10分と歩かないうちに意外とあっさりと聖誕教会の前の広場までたどり着きます。タクシー乗らなくて正解だったかも。

まずは聖誕教会を一旦スルーして、脇の道を入った先にあるミルク・グロットへ。その名の通り洞窟の上に建てられたミルク色の教会。内装はそれほど派手さはなくシンプルなのですが、聖堂のある洞窟は壁面が少しピンクがかった白で可愛らしい雰囲気。ここで聖母マリアが生まれたばかりのイエスに母乳を与え、零れた滴が赤茶けた洞窟を真白く染めたという伝説があるそうです。

ミルク・グロット
▲ミルク・グロット。白い洞窟の教会。(ベツレヘム)

聖誕教会へ。降誕教会、生誕教会とも呼ばれ、英語だとNativity Church。イエス生誕の場所に建てられた教会。ベツレヘムのメインスポットです。イエスが処女マリアから生まれ出たとされる洞窟は祭壇になっていて、日々数多くのキリスト教信者が礼拝に訪れています。僕が訪れたこの日も、百人は優に超える多くの巡礼者や観光客が行列を成していて、祭壇のある部屋には小さな入口から数人ずつしか入れない上、熱心にお祈りする人も多く、なかなか列は進みません。せっかくここまで来たのだしと並び始めたものの、祭壇の前にたどり着くまで1時間以上かかりました。

聖誕の場所が洞窟ということで、まず「あれ!?イエスって馬小屋で生まれたとかいう話じゃなかったっけ!?」と思ったのですが、福音書や宗派の伝承によって異なり、洞窟としているものもあれば、家畜小屋としているものもあるとか。イエスは、紀元前4~6年頃生まれたとみられていますが、ベツレヘムで生誕したということ自体、旧約聖書の預言に沿って作られたという可能性もあり、詳細はいろいろ定かではないようです。イエス降誕への礼拝のための一つのシンボル、聖地としての教会であり、その歴史的事実の正否はさして重要ではないのかもしれません。

聖誕教会
▲聖誕教会。外陣。(ベツレヘム)

聖誕教会
▲イエス降誕の場所への狭い入口に行列する人々。(ベツレヘム、聖誕教会)

聖誕教会、イエス降誕の場所
▲イエス降誕の場所には星の型が埋め込まれている。(ベツレヘム、聖誕教会)

ベツレヘムの街を歩く。スークを散歩して、その後、メンジャー通りを北へ。途中ダビデの井戸や聖ヨセフの家といったスポットにも寄ろうとしますが、ちょうどお昼過ぎだったからか両方とも残念ながらクローズ。

仕方ないので、そのさらに少し先へ行ったところにあったシュワルマ・キングという店でとりあえず昼食。炙った肉を薄く削ぎ落としたシュワルマを、ホブスやピタと呼ばれる薄く平たいアラブパンで巻いて食べます。トルコ料理でいうドネルケバブです。肉はマトンかな?美味しかったです。パンは小さめのピタサンドやバゲットサンドも選べて、サラダやソースのトッピングは自由。ひよこ豆のペーストやオニオンスライスから、真っ赤なキムチのようなピクルスまでトッピングもいろいろ。セルフサービスだけど、不慣れな僕には従業員がオススメを選んでくれました。

こん棒のようにぶっ太くボリュームたっぷりで15NISだったかな。ベツレヘムではミネラルウォーターも1Lで6NISとかで、物価はエルサレム市内よりだいぶ安いみたい。

シュワルマ
▲シュワルマ。ホブスに巻いてボリュームたっぷり。どこでもだいたいこんな感じ。テイクアウトでも気軽に食べれる。

シュワルマ・キング
▲シュワルマ・キングの店内。キングと名を冠している割には質素な店内。イエスが生誕した場所というだけあって、一年中"Merry Christmas"の飾りつけがしてあるみたい。パレスチナ人、アラブ人というとイコールムスリムと想像しがちだけど、ここにはたくさんのクリスチャンのアラブ人が暮らしている。

パワー充填完了し、メンジャー通りをさらに北へ。行きはバスでベツレヘム市街までスルーでしたが、帰りのバスは検問を受けた先でしか乗れないと聞き、チェックポイントへ向かいます。聖誕教会などがある中心地から2~3kmは離れていますが、街の散策も兼ねて徒歩。途中道に迷ってしまいぷらぷらしていると、イスラエル軍らしき兵隊と遭遇。何やら建設途中だか廃墟だか分からないビルの上にいる人と距離を置いて話しています。緊迫しているのかいないのかよく状況は分かりませんが、とりあえず巻き込まれないよう足早に通り過ぎます。近くで高校生らしき子に道を尋ねるついでに、「何が起きているの?」と聞いてみましたが、「英語では説明できないし、詳しくは分からない」と言われました(苦笑)。冷ややかに「似たようなことはしょっちゅうだ」みたいにも言ってました。

チェックポイントが近づくにつれて、延々と街を隔てる高く厚い壁が見えてきます。イスラエル側によりほぼ一方的に築かれた物々しい分断壁です。そこに描かれたパレスチナ解放や平和を訴えるペイントアートや落書き。ガザ地区はハマースに実験を奪われ自治政府の統制が及ばず、ヨルダン川西岸地区はイスラエルの入植や支配地域も少なくない独立には程遠い状況のパレスチナ。その歪みはそこかしこに見ることが出来ます。

チェックポイントだけは、金属探知機やパスポートチェックを受け、まさに国境さながら。軽い手荷物一つでカメラ片手のいかにもな日帰りお気軽な観光客の僕にも、自治区ではどこへ何しに行ったか、イスラエルに戻ってどこへ行く等々、お得意の容赦ない質問責め。ユダヤの歴史やイスラエルの立場を考えると仕方がないのかなとは思いますが・・・。

チェックポイント出てすぐのところで、エルサレム行きのバスに乗ります。帰り道、丘に建物が密集する要塞のような集落が見えます。パレスチナ自治区内のイスラエル入植地。約1900年ぶりに帰ってきた元住人は、居間やキッチンを乗っ取り、話し合いで現在の住人のものと決めたはずの部屋にまで荷物やら何やらを置き始め、注意すると俺たちはこれまで散々で大変だったんだぞと逆ギレする。なんかそんないまひとつ納得できない、煮え切らない感じ。行き過ぎたシオニズム、選民主義は、新たな離散の悲劇を産むだけではないのか。彼らはなぜ自らの受けた耐え難い苦しみを他人に与えるのか、そんな拭い去れない疑問で悶々としながら車窓を流れゆくパレスチナの景色を眺めました。

イスラエル兵とパレスチナ人
▲兵士に緊張感は感じられないものの、何やらお取込み中・・・。(ベツレヘム)

パレスチナ自治区の分断壁
▲パレスチナ自治区の分断壁。イスラエルが一方的に築き警備している。(ベツレヘム)

パレスチナ自治区の分断壁
▲壁に書かれた落書き。パレスチナ解放や平和を訴えるような図柄も少なくない。(ベツレヘム)

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▲チェックポイントへ向かう道。鉄格子に囲まれている。(ベツレヘム)

チェックポイント
▲チェックポイント。何重にもフェンスや建物を通過しなければならない。特にイスラエル側に入る際のチェックが厳しい。(ベツレヘム)

ユダヤ人入植地
▲パレスチナ自治区の地域内に築かれたイスラエルのユダヤ人入植地。周囲を壁で囲み、まるで要塞のよう。イスラエルの強硬な意志、執念が見える・・・。

2012.03.10

イスラエルへ

ドバイとアンマンで2度乗り換え。ドバイではターミナル移動であたふた。アンマンでは、係員らしきアラブ人2人に声をかけられ何かと思いきや、「日本のカールは最高だ。」と言われる。なんでヨルダン人がお菓子のカールにそんなに感動しているんだ!?と混乱していると、「カールだよカール!三菱の4WDは最高。ヨルダンでも人気だ。ホンダ、BMWもイイね」。"r"の発音にクセがあり過ぎ。どうやらカー、クルマのことだったらしい。BMWはドイツだけどね・・・と丁重に突っ込むと、「それはすまない。ま、とにかくあれだ、ヨルダンは日本と友達ということだ」。

そんなこんなでほぼ丸1日かけ、20日のお昼前、イスラエルのベン・グリオン国際空港に到着。機を降りてボーディングブリッジを渡りエスカレータを昇ると、待ち構えていた若い係員に呼び止められる。いきなりの質問責め。目的は?どこへ行く?人と会う約束はあるか?イスラエルに友人はいるか?仕事は何だ?会社名は?社員証は持っていないか?等々・・・。社員証なんぞ持ってくるかなぁ、会社名聞いてどうするのんかなぁなどと疑問に思いつつも、ここで彼に下手に疑われたり嫌われでもしたらややこしいことになりかねないので誠実に一つ一つ回答します。時間にしたら数分だったとは思いますが、セキュリティの厳しさは噂には聞いていたものの、不意打ちに少し緊張してしまいました。

兄ちゃんの手厳しいウェルカムをどうにかクリアしたら、やっとイミグレーション。しかしこれがまた大行列・・・。30分以上はゆうに待ったかと。列に並びながら、別室に連れて行かれる人がちらほらいるのを見てまた少し緊張。自分は何も悪いことしていないのに(苦笑)。結局、待ったものの、審査自体は他国より少ーし厳しいくらいでスムーズに通過。ほっと一安心。

入国しただけでなぜか少し達成感が(笑)。万一の場合数時間かかることも覚悟していたことを考えれば、まずまずの滑り出しでしょう。

到着ロビーから外へ出たら、すぐにエルサレム行きのシャトルバス(シェルート)だが乗らないか?と声をかけられる。バンを一回り大きくしたくらいのミニバス。乗客がそこそこ集まったら出発。空港はロッドという街にあり、エルサレムまでは約1時間。56NIS、1300円程度(1NIS(シェケル)約23円)。

ずっと行きたかったイスラエルです。春にイランへ先制攻撃するかもとか、隣のエジプトも選挙が近くどうなるか分からないといったなか、行っておくなら今しかないと決断しました。今回は自由旅行の一人旅。車窓の向こうに広がるゴロゴロした石の多い荒野、そして「<-Jerusalem」の看板。いやが上にも胸が高鳴ります。

旧市街ダマスカス門の近くでバスを降り、予約を取っているオリーブの丘にあるホテルへ向かいます。地図を見たら1.5kmくらい、節約とのんびりと歩き出したものの、途中昇り坂が続いていて少し大変でした。でも坂から見渡せるユダヤ人墓地やケデロンの谷、そして旧市街の展望は、エルサレムに来たー!感でいっぱい。

チェックインし一休みして、まだ15時過ぎくらいだったので、散歩へ出てみます。この日は、ホテルから一番近い聖ステパノ門(ライオン門)から旧市街に入って、少しうろうろした程度。それでももうそこはイエスが十字架を背負ってゴルゴタの丘へ向かって歩いたというヴィア・ドロローサ(悲しみの道)の一端。石畳の道、ひしめくように並ぶ教会や建物、賑やかな商店街。2,000年前イエスが訪れた時にも既にかなりの街だったらしいですから、その頃と変わらない雰囲気も残っているのかな、とか想いに耽けつつ。明日から本格的にいろいろ見て回るのが楽しみです。

エリコ通りの坂から
▲オリーブの丘にあるホテルへ向かう途中、エリコ通りの坂から。眼下にはユダヤ人墓地やケデロンの谷が広がり、旧市街を一望。(エルサレム、オリーブの丘)

旧市街の風景
旧市街の風景
▲旧市街の風景。石畳の道、階段がどこまでも続く。(エルサレム旧市街)

お菓子やミネラルウォーター
▲お菓子やミネラルウォーター。食料品にはコシェルかノンコシェルか(ユダヤ教の食料規定に沿っているか否か)の記載があったりする。

新シェケル紙幣
▲新シェケル紙幣。

2012.01.19

明治大学博物館

国内では珍しい刑事部門、拷問関連の展示があるということで、以前からテレビなどで見て気になっていた明治大学博物館に行ってきました。

日本の御成敗式目や、ヨーロッパのマリア・テレジア刑事法典などの貴重な史料がいろいろ。なかには江戸時代の「家族仲良くしなさい」みたいな内容の法令もあったりして興味深かったです。また、拷問具の展示は、何とも言えない空気が漂っています。ニュルンベルクの鉄の処女やギロチン、日本の石抱きや吊り責めなど。鉄の処女の日本での展示はここだけと聞いていましたが、しかしレプリカのようでした。ま、残酷な代物なので残念というわけでもありませんが・・・。

刑罰という名を借りて、時には見せしめ、見世物にもされたわけで、人間が奥底に持つ残虐性みたいなものが垣間見えた気もします。

石抱きの刑
▲石抱きの刑に処す。(御茶ノ水、明治大学博物館)

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▲マリア・テレジア刑事法典。指詰めの刑。あ痛たっ。(御茶ノ水、明治大学博物館)

ニュルンベルクの鉄の処女
▲ニュルンベルクの鉄の処女。アイアンメイデン。イラク・フセイン元大統領のバカ息子ウダイもお気に入りだったとか・・・。(御茶ノ水、明治大学博物館)

ギロチン
▲ギロチン。当時は苦痛の少ない死刑とされていたそうだが・・・。(御茶ノ水、明治大学博物館)

その他、博物館には、縄文・弥生時代の石器土器をはじめとした考古学の史料や、日本の伝統工芸品の展示もあります。貴重な史料も少ないくないですが、入場無料、大学の博物館ですから、常設展示は1フロアのみで決して盛り沢山という感じではないです。他の用事で御茶ノ水に来た際に、ちょっと立ち寄るくらいで充分見ることができますね。拷問具はショッキングだし、晒し首の写真なんかもあり、一方、その他の展示は地味めなので、デートには不向きかと思いますけど(苦笑)。

http://www.meiji.ac.jp/museum/

埴輪
▲大丈夫。良い子のみんなには、埴輪も待っています。(御茶ノ水、明治大学博物館)

2011.12.09

野辺山電波天文台

長野、野辺山に向かう途中の橋にて
▲長野、野辺山に向かう途中の橋にて。橋の名前は失念。

ブログに書いていなかったですが、約1カ月前、日帰りで久々にクルマ旅。ちょうど家に籠って仕事や人生について悶々としている時期で、少し空気がきれいなところへ行きたいなと。そんなときふとネットで見つけた長野・野辺山にある国立天文台。宇宙に興味あるし、無料で見学できるそうなので、近辺の自然散策もかねて目的地に設定。

朝7時過ぎ、浦和の実家を出発。東京で中央道に乗って、途中サービスエリアでブランチを取ったりしつつ、山梨を超え、長野県の八ヶ岳方面へ。約3時間くらい。

天文台へ向かう前に、八ヶ岳の麓の橋や飯盛山中腹にある展望スペースで美しい景色を眺めます。さすがに関東より寒く紅葉は終わりかけ。あと1、2週早く来ていればさらに素晴らしかったことでしょう。

飯盛山展望駐車場から、八ヶ岳連峰を望む
▲飯盛山展望駐車場から、八ヶ岳連峰を望む。(長野)

景色を楽しんだ後は、JR小海線、清里の隣の駅、野辺山駅へ。何てことはない小さな田舎駅。ですが、実はここ、ロープウェイやトロリーバスを除き最高標高地点(1,345.67m)にある駅なのだそうです。駅から線路沿いを清里方面に少し走るとJRの線路の最高標高地点(1,375m)もあります。ここ、駐車場や記念碑までありますが、単線ののどかなただの線路です(笑)。ただ、踏切で線路の中央に立ち、左右を見渡すと、足元を頂点にどちらも線路が下っていて、「なるほど~」と妙に実感。鉄っちゃんではありませんが、一度は立ち寄ってみてもいいかもしれません。寄らなくてもいいかもしれません(笑)。

野辺山駅
▲日本一標高の高いところにある鉄道駅。野辺山駅。(長野、南牧村)

鉄道最高地点碑鉄道最高地点。1,375m
▲JR小海線。鉄道最高地点。1,375m。(長野、南牧村)

近所の堆肥の匂いが香しい野辺山駅を後にして、向かったのはメインイベント(?)の野辺山電波天文台。南牧村の近辺からはかなり遠くからでも、ここにある最大のアンテナ45mミリ波電波望遠鏡が見えて存在感抜群です。この巨大アンテナを始め、10mのミリ波干渉計6台や、広大な平地に比較的小型のアンテナが並ぶ光景が壮観の電波へリオグラフなどの様々な施設が設置されています。10mアンテナの下には移動用のレールが敷かれていて、移動や傾斜変更するアンテナも見てみたかったけど、滅多にないし、時間もかかるんでしょうね。

http://www.nro.nao.ac.jp/

見学は無料。ところどころに詳しく役割などを説明したパネルや、小さいですが屋内展示スペースなどもあります。学生や団体などは事前の予約があれば、さらに施設のコントロールセンターなども見学できるようです。

45mや10mのアンテナは弱い電波を集め遠い宇宙の天体観測を、ヘリオグラフなどたくさん整列した小型のアンテナは強い電波を広範囲、高精細に集め太陽観測を行っているそうです。宇宙、しかも電波望遠鏡ということで、正直、詳しいことは理解が難しい部分もちらほら。しかし、こうした施設によって太陽風などによる地球環境への影響から、宇宙の探求に至るまで研究が進められているんだなと実感することが出来ました。

野辺山電波天文台。10mミリ波干渉計
▲野辺山電波天文台。10mミリ波干渉計。(長野、南牧村)

45mミリ波電波望遠鏡
▲45mミリ波電波望遠鏡。デカい。(長野、南牧村)

電波ヘリオグラフ
▲電波ヘリオグラフ。(長野、南牧村)

帰りは、日暮れまで少し時間があったので、松原湖に立ち寄り(寂れていました・・・)、さらに佐久、軽井沢、妙義山を掠め、上越道で帰りました。妙義山と言えば、中学生くらいだったか子どもの頃、家族みんなで夕方くらいに軽装で登って、真っ暗闇の夜になってしまい、遭難しかけたことを毎度思い出します。。。小雨も降り出して声をからして「助けて~!」と叫び続け深夜近く妙義神社にいた神主さんに気付いて助けて貰ったっけ。

母は数年前亡くなりましたが、父は母に尻を叩かれドライバー担当。小中学生の頃は週末の度にこの辺りにはよくドライブに来たものです。懐かしい思い出。

松原湖
▲松原湖。閉鎖されたロッジやボート屋もあって、少し寂れた感じ。(長野、南牧村)

妙義山
▲妙義山。下仁田川側から望む。頂上近くは結構切り立っている。中之嶽神社の大黒像はどうなんでしょう。(群馬県)

2011.11.30

サンシャイン水族館

マイワシの回遊水槽
▲マイワシの回遊水槽。(サンシャイン水族館)

サンシャイン水族館、先日大幅リニューアルオープンしたってんで、超久々に行ってきました。

すっかりキレイになって。展示内容もビルの屋上にあるとは思えない充実ぶり。少しそれぞれの水槽は小さいけど、マイワシの回遊もあるし、ラッコやマンボウ、唯一の淡水に住むアザラシのバイカルアザラシも。クラゲのドームも地味だけどなんか好きで、ボーッと見入ってしまいました。自分の部屋にほしい(笑)。

ラッコ
▲ラッコ、ラッコ~。(サンシャイン水族館)

クラゲ
▲クラゲはいいよな。うん、クラゲはいいよ。(サンシャイン水族館)

マンボウ
▲大きい身体におちょぼ口。眠たげな目でゆっくり泳ぐ。どこか弱々しいマンボウ。隣で見ていたオバちゃんが「私マンボウの刺身食べたことあるの」と同伴の知り合いに熱弁していた。(サンシャイン水族館)

一つの見どころかなと期待していた屋外のアシカの回遊リングは、意外とほほぉこんな感じかといった程度でした。リングになってることで、逆に離れると見辛いので、演出としては面白いですが、泳いでる姿をじっと見るなら普通の水槽でいいかもとちょっと思ったりもして。

順路終盤は、ペリカンやサル、そう言えば以前逃げ出して話題になったアルマジロまでいて、なかなか楽しいひとときを過ごすことが出来ました。

久々にプラネタリウムも楽しんじゃおうかなと思ったら、演目入れ替えのため休業中。残念。池袋自体、最近来なてなかったけど、昔、学生時代は東京と言えば池袋の頃があったなぁ。東武沿線の埼玉人らしく(笑)。予備校も池袋だったし。

サンシャイン通り入口の角にロッテリアがあったり、途中の映画館とかもまだちゃんとあって、意外と変わってなくてちょっと嬉しかった。

帰りは予定もなく暇だったので、東池袋から都営荒川線でのんびり帰りました。王子、飛鳥山公園の近辺で道路に出て、カーブを曲がる辺りがイイね。

アシカのサンシャインアクアリング
▲頭上をアシカがグールグル。新名物アクアリング。(サンシャイン水族館)

2011.09.10

熊本城

熊本城の長塀
▲熊本城の長塀。(熊本)

帰京する日の朝、出発まで少し時間があったので、熊本城へ。

ホテルから近かったので、加藤清正像や長塀を眺め、坪井川を渡り、徒歩で向かいます。南西の櫨方門から入城。迷路のような石垣、階段を昇っていくと、やがて本丸御殿そして天守閣がそびえる中心部分に辿り着きます。

まず数奇屋丸、宇土櫓を見学。天守閣などは西南戦争時に焼けてしまい復元されたものですが、宇土櫓は約400年前に建てられてから焼け残った唯一の櫓だそうです。その後、天守閣、本丸御殿を見学。天守閣は外観は美しいのですが、内部は日本の復元された城にありがちなコンクリート造の博物館のようになっていて、復元に出資した人の名札を並べた部屋などがあり、少し味気ない。でも最上階からの眺めは熊本を一望できて爽快です。

二様の石垣
▲二様の石垣。上に行くほど反りが大きくなる「武者返し」。(熊本城)

熊本城、天守閣
▲天守閣。(熊本城)

本丸御殿は3年前に復元されたばかりで、今回初めて訪れるので特に楽しみにしていました。外観や大方の部屋は一見地味。しかし天守閣と違ってたくさんの丸太による梁など丁寧な木組みで忠実に復元された内部は興味深い。見ものは、金箔、漆塗りで彩られた昭君之間。部屋に入ることは出来ませんが、ガイドさんが常に立っていて説明してくれます。眩しい金色ながら草花が描かれた天井や中国の古事が描かれた襖絵は繊細で上品。加藤清正の当時の権力、威厳を感じます。

熊本城本丸御殿、若松之間から覗く昭君之間
▲若松之間から覗く昭君之間。(熊本城)

城のすぐそばには、新たに土産や飲食店が集まった桜の小路という施設や、人形劇などを行う歴史体験施設なんかも出来て、日本有数の名城を堪能しました。

出発を前に、熊本交通センターの地下商店街で少し早めの昼食を取ることに。やはり最後はという感じで、熊本ラーメン老舗こむらさきの支店へ。交通センターでは、こむらさきと桂花の支店が向かい合って店舗を構えていましたが、桂花は確か新宿など東京でも食べられるので、こむらさきを選択。最近は熊本ラーメンも進化して、趣向を凝らした新手の人気店舗もあるようですが、やはり濃厚豚骨にマー油、焦がしニンニク、木耳の昔ながらの熊本ラーメンも捨て難いですね。よかばい、美味かばい。

シルシルミシルで見て(笑)無性に食べたくなっていたお菓子、その名も武者返しを買い込み、午後早々の飛行機で帰京の途に。久方ぶりの熊本。法事で祖父母との想い出を振り返ったこともあり、なんだか第二の故郷に帰ってきたような気持ちになれました。

こむらさきの熊本ラーメン
▲こむらさきのラーメン。(熊本)

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