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2008.09.21

東京都庁、フジテレビ本社。フジではB700を発見!

東京都庁展望室から。中央手前がKDDI本社ビル、奥がNTTドコモ本社ビル
▲東京タワー大展望室から。中央手前がKDDI本社ビル、奥がNTTドコモ本社ビル。

友人との東京観光の続き。

引き続きコテコテ東京スポットを回ろうということで、まずは新宿の東京都庁へ。これまた仕事でしょっちゅう近くに来るし、昼飯食べに食堂は利用したりもするのですが、展望室は初めて上がりました。ツインタワーの両方にあるんですね。せっかくなので、両方に登って東京の展望を満喫。正直眺めだけなら東京タワーを凌ぎますね。無料でこれは、観光客はもちろん、税金取られている東京都民は是非昇っとかなければ損だと思いました。

次に訪れたのはお台場。行きは個人的にオススメの日の出桟橋からの船で渡って、フジテレビへ。これまたちゃんと見学するのは初めて。屋上広場や展望室"はちまる"まで初めて上がりました。展望室はそれほど高さもないし料金も割高な気がしますが、レインボーブリッジや東京湾を一望できるので、景色はなかなか良かったです。

フジテレビ本社、展望室・はちまる内部
▲フジテレビ本社、展望室・はちまる内部。

無料のエリアも、スタジオを小窓から覗ける見学コースやフジテレビの番組にまつわる展示物などもいろいろあって、思いのほか楽しめました。モナ騒動で御馴染みのサキヨミのリハがちょっとだけ見れましたよ。最近のバラエティにはちょい疎い僕ですが、たくさんメッセージが書き込まれたシンセB700は見逃しませんでした(笑)。特番「めちゃ2あいしてるッ!」のスタッフか誰かに向けての寄せ書きのようで、そこには小室哲哉と華原朋美のメッセージが並んで書かれているではありませんか!・・・今ではとても貴重な一品かも。放送されてからだいぶ経つ番組だけに、コースの隅っこに置かれていましたが、その脇で今時大興奮していた僕でした。

フジテレビに展示されているB700。小室と華原のメッセージが
▲スタッフへの寄せ書きが書き込まれたEOS B700。小室哲哉と華原朋美のメッセージが!東京台場、フジテレビにて。

2008.09.20

北朝鮮旅行記index

■北朝鮮、平壌へ。ビザトラブルとエアコリョ
http://rurutia.cocolog-nifty.com/chronosphere/2008/09/post-7d4b.html
■巨大スタジアムで10万人マスゲーム「アリラン」観覧
http://rurutia.cocolog-nifty.com/chronosphere/2008/09/10-d1d8.html
■羊角島国際ホテル、朝鮮中央テレビ
http://rurutia.cocolog-nifty.com/chronosphere/2008/09/post-3688.html
■プエブロ号、万寿台の金日成像、チュチェ思想塔
http://rurutia.cocolog-nifty.com/chronosphere/2008/09/post-7cb9.html
■平壌の公共交通機関。地下鉄、市電、鉄道・・・
http://rurutia.cocolog-nifty.com/chronosphere/2008/09/post-4722.html
■安山館で平壌冷麺。戦争記念館で戦争話。万景台、金日成の生家
http://rurutia.cocolog-nifty.com/chronosphere/2008/09/post-5e67.html
■ガイドとの会話、万景台学生少年宮殿見学、冷麺は別腹
http://rurutia.cocolog-nifty.com/chronosphere/2008/09/post-69a5.html
■高速道で平壌から160km南へ。北側DMZ、停戦協定調印式場
http://rurutia.cocolog-nifty.com/chronosphere/2008/09/160kmdmz-3ccf.html
■板門店、北の国からこんにちは。
http://rurutia.cocolog-nifty.com/chronosphere/2008/09/post-9f7c.html
■開城。成均館、統一館、王健王陵
http://rurutia.cocolog-nifty.com/chronosphere/2008/09/post-2a40.html
■建国60周年マスゲーム観覧。北朝鮮最後の晩餐は、アヒル焼肉。
http://rurutia.cocolog-nifty.com/chronosphere/2008/09/60-fbab.html
■パレードでおなじみ金日成広場、10m高い!?凱旋門、・・・そして、サヨナラ朝鮮
http://rurutia.cocolog-nifty.com/chronosphere/2008/09/10m-ea20.html
■平壌で買った書籍の数々と、どこかで極秘入手した朝鮮ウォン紙幣
http://rurutia.cocolog-nifty.com/chronosphere/2008/09/post-6556.html

平壌で買った書籍の数々と、どこかで極秘入手した朝鮮ウォン紙幣

10月マスゲーム閉演以降、どうも日本からの北朝鮮ツアーが中止されているようです。いろいろ憶測も出ていますが、やはり何か異変が起きているのでしょうか!?とにかく行けて、また無事に帰って来れて改めて良かったです。

ところで、平壌では、観光客向けの書店に寄りました。北朝鮮で出版されている書籍がたくさん置いてあって、その中には日本語のものも結構ありました。平壌のガイドブックと北朝鮮全国のガイドブック、全国地図(これはロシア語)、絵本、そして金正日逸話集など思わず数冊を購入。

北朝鮮のガイドブックは、日本では出版されていないため、重宝しました。ただ、虚実入り混じる内容で、ある意味、とても「らしい」ガイドブックではあります。朝鮮半島と朝鮮民族の賛美はちょっと引いてしまう凄まじさで(苦笑)、歴史や金日成、金正日の業績については、誇張や歪曲と思われる記述も少なくありません。ちなみに、平壌ガイドブック「平壌概観」によると、平壌は「世界の人類発祥地」だそうです。

逸話集「偉大な人間 金正日」も、興味深い内容です。総書記は自ら、不漁に悩む港から船を出し大量の魚を網で引き揚げて見せ、老人を不治の病から救うために漢方の材料となる珍獣を山で狩り、クルマを運転し部下を送ります。港の冷凍倉庫を半袖で数時間見て周ったり、48時間ぶっ続けで公務を行うなんてエピソードまであります。この逸話がすべて真実で誇張さえないというのなら、金正日はきっと人間ではありません(苦笑)。この本は朝鮮語でも出版されて人民にも読まれているそうですが、これを一種の宗教信仰みたいに鵜呑みにしている人がいるとしたら、やはり宜しくないなと感じます。フィクションだと思えば、それなりに面白いのですが。

北朝鮮で購入して帰った書籍
▲北朝鮮で購入して帰った書籍。紙質や印刷の品質は悪いが、それが逆にどこか昔懐かしいようなレトロな風合いを醸し出していて味がある!?

そうそう、以前の記事で「朝鮮ウォンは外国人の入手、使用が禁止されている」と書きましたが、実は、入手出来ました(ちなみに現地ガイドからではないです)。入手したのは200ウォン札と500ウォン札。ホントは金日成の肖像画が入っている紙幣が欲しかったところですが、ワガママは言えません。金日成が描かれている紙幣は恐れ多くて(顔部分を折ると不敬とされていたりもするらしい)使い辛く、流通量も多くないみたい。ま、超インフレでいまや朝鮮ウォン自体が国内でも信用急落しているわけで、僕はある人に1,000円を1,700ウォンと交換して貰ったのですが、1,700ウォンは実際にはたぶん50円とか20円とかあるいはそれ以下の価値でしょう(苦笑)。目指せジンバブエドル!

朝鮮ウォン紙幣
▲朝鮮ウォン紙幣。北朝鮮のお札。200ウォン札はオオヤマレンゲの花、500ウォン札は錦繍山記念宮殿(金日成廟)が描かれている。

パレードでおなじみ金日成広場、10m高い!?凱旋門、・・・そして、サヨナラ朝鮮

凱旋門傍にある映画館
▲凱旋門傍にある映画館。平壌国際映画祭関連作品を上映しているのか、建物前は混雑していた。(平壌)

最終日。朝起きてホテル28階の窓から外を眺めると、平壌国際映画会館に人がたくさん集っていました。平壌は17日から1週間、平壌国際映画祭を開催、世界各国の映画関係者が訪朝しているのです。平壌市内数箇所の映画館でも連日参加作品が上映されているようでした。男性ガイドは大学では、「男はつらいよ」や「釣りバカ日誌」などを見ながら日本語の勉強をしたそうです。「寅さんは本当に面白い。日本語は分からないところも多かったが、仕草だけ見ていても笑ってしまう」と言っていました。渥美清はもう10年以上も前に亡くなったと話したら、とても驚いていました。「日本や南朝鮮の映画は暴力や性的な表現が過激と聞いている」というので、確かに低俗な表現、映画もあるけど、良い作品もたくさんありますよと言っておきました。

飛行機の出発は昼過ぎなので、それまで、午前中はもう少し平壌市内を観光。まずは、金日成広場へ。北朝鮮へ訪れるつい数日前の報道で目にしたあの軍事パレードでも御馴染みの場所。花崗岩が敷き詰められた、だだっ広く何もない広場ですが、正面には人民大学習堂(国会図書館のようなもの)、両脇には博物館があります。広場を横切る一糸乱れず兵士の行進、軍事車両の車列、人民大学習堂のテラスに並ぶ労働党や人民軍の幹部、拍手する金正日総書記、・・・あの映像が想起させられます。ちなみに、残念ながら入りませんでしたが、なんでも広場下の一部は、地下商店街になっているとか。軍事パレードをしているそのすぐ下が、地下商店街だと思うと・・・(苦笑)。

金日成広場
▲金日成広場。正面は人民大学習堂。左は朝鮮美術博物館、右は朝鮮中央歴史博物館。(平壌)

金日成広場側から大同江対岸を望む
▲金日成広場側から大同江対岸を望む。中央はチュチェ思想塔。その向こうの建物も左右対称になるよう建てられているのが分かる。(平壌)

次に訪れたのは、凱旋門。金日成主席1945年平壌凱旋を記念して、1982年に建てられたアーチ。明らかにパリのエトワール凱旋門を意識したデザインですが、高さ60mと、意図的に本家より10m高く建てたという思わず苦笑ものの曰く付き。確かに大きくて、迫力ある彫刻が施されていたり、革命賛美の詩が彫られていて見所もあるのですが、150年以上前の1836年に建てられたエトワール凱旋門とは歴史的価値も違いますし、正直どうも素直に評価する気になれない微妙な代物です。ま、そんなこと言ったら平壌市内のチュチェ建築物には微妙なものなど数知れませんが。

平壌凱旋門
▲平壌凱旋門。左には金日成が平壌を出た1925年、右には「凱旋」した1945年の数字が刻まれている。(平壌)

金日成スタジアム
▲金日成スタジアム。かつては牡丹峰競技場と呼ばれていた。(平壌)

すべての観光予定を終了。唐辛子やとうもろこしを脇で天日干ししている道路を抜け、平壌順安国際空港へと向かいます。クルマを降りる際、前日夜、男性ガイドから「別れ際ドライバにはチップを」とひっそり頼まれ用意していた1,000円を、ドライバに渡します。「食事しましたか?」という日本語だけ唯一覚えて(笑)、嬉しそうに連呼していた50代後半くらいの男性ドライバー。しかし、空港入口で長くクルマを止めておけないこともあって、挨拶もそこそこに、チップを受け取る時の表情や仕草も何となく素っ気無く、ちょっと寂しい最後でした。金を受け取るという照れがあったのかな!?実はガイドへのチップは特に要求されなかったのですが、この朝、ガイドの2人にも1,000円ずつ渡しました。「食事代やたばこ代の足しにでもしてください」。日本を発つ前は、チップやお土産は断るガイドもいると聞いていたのですが、結局受け取るんだなぁと(苦笑)。ま、最後になんだかギクシャクするのも嫌だし、渡しておくのが無難と判断した次第です。せっかく日本語勉強したのに、最近は日本語ガイドの仕事も少なくて大変みたいですし、これからも日本人を宜しくという感じで。

出国手続き前でガイドの2人ともお別れ。たった数日だったとはいえ、やはり寂しいもの。「また平壌にも来たいです。お二人も日本に来ることがあるといいですね」と言うと、少し伏せ目がちに「それはないと思います」と言った女性ガイドの表情が印象的です。語学も堪能な二人ですが、国外には出たことないとか。二人とも旅行中、日本や南朝鮮(韓国)、僕が行った海外の話を興味深く聞いてきました。旅行社で働くくらいですからきっと外国にも興味があることでしょう。男性ガイドは一度妻が仕事で中国に行く際に付いて行こうとしたけど国から許可が下りなかったという話もしていました。日本では、英語も苦手で、ワーキングプアな僕でも一応海外旅行が出来ます。それだけでも幸せかな、ありがたいなと思いました。

pm12:30平壌発。いよいよ北朝鮮とさようなら。まずは1時間程度で中国・瀋陽まで。その後大連、関空、羽田と再び全10時間程度の旅。報道やネットなどの情報の上でしか触れられない、まるで架空のように感じていた近くて遠く遠かった北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国という国。観光客である僕が見ることが出来た姿は、この国のごくごく一部で、ほんの一端でしかありません。しかしながら、例え制限や抑圧溢れる国であっても確かに、そこには多くの人たちが、暮らし、学び、働き、遊び、怒ったり笑ったりしていました。それに少し触れて感じることが出来ただけでも、この旅の意義はあったのではないかと思います。

平壌順安国際空港にて
▲平壌順安国際空港での光景。(平壌)

高麗航空の機内
▲高麗航空(エアコリョ)の機内。

高麗航空機内で出た機内食。チキンサンド
▲帰路の高麗航空機内で出た機内食。チキンサンド。バンズは潰れてますが、味は食べられないことはなかった。

パスポートを開くと、中国への出入国スタンプは往復分2つずつありますが、北朝鮮への出入国については、一切形跡が残っていません。日本は朝鮮民主主義人民共和国を国家として認めておらず国交がないので、「出入国」もないというわけです。
羽田の荷物検査時、お決まりの「観光ですか?おひとりですか?どこへ行かれてましたか?」に「中国・瀋陽です」と答えると、スーツケースを開けるように言われました。朝鮮語のパッケージのお酒やお土産が入っていたので、つかさず「北朝鮮にも行きまして」と付け加えたりして。なぜか凄く焦ってしまうのはなんででしょう(苦笑)。「北朝鮮ですか!?最近いろいろあるみたいですけど、大丈夫でしたか?」なんて、微笑みながら聞かれました。優しく好意的な口調ではありましたが、実際はいろいろ探られていたのかも。

出発前に金正日総書記が倒れたというニュースがあり不安もありましたが、そのような報道は現地では一切されていませんでした。話を聞いて「以前も何度もありましたよね?」とガイド。「今回は信用度が高く、容態も深刻って言ってましたよ」と言うと、「総書記は元気ですよ」と笑っていました。ただ、金正日も人間である以上、北朝鮮がこの「指導者」を失うときはいずれ必ず来ます。日本のメディアでは「金正日後」の後継者当てに余念がありませんが、党や軍の集団指導体制に移行する可能性が高いのではないでしょうか。一気にクーデターでも起きて民主化すればよいですが、労働党や軍の力、チュチェや社会主義という思想統制も僕らの想像以上に強いようです。例え金正日を内心よろしく思っていない人は多くても、その後すぐに自由主義国家へと向かうかどうかは、アメリカの工作でもない限り、難しいかもしれません。中国やベトナムのように、徐々にでも自由化され、対外強硬路線が和らいでいけばまだよいのですが・・・。

北朝鮮土産のお菓子
▲平壌のお土産屋やホテルで購入したお菓子。上2つがキャンディ、下左が落花生を砂糖でコーティングした豆菓子、下右がクッキー。食の安全は禁句。

北朝鮮土産の雑貨、民芸品
▲平壌のお土産屋で購入した雑貨品。

開城で買ったお酒
▲開城、成均館のお土産コーナーで購入したブルーベリー+朝鮮人参のお酒。7ユーロ(約1,000円)だったと思う。左の木の箱に惹かれた。未だ開けていないので味は不明。

2008.09.19

建国60周年マスゲーム観覧。北朝鮮最後の晩餐は、アヒル焼肉。

祖国統一3大憲章記念塔
▲祖国統一3大憲章記念塔。高麗民主連邦共和国建国など金日成が提唱した憲章を記念したアーチ。平壌開城高速道路の入口にある。(平壌)

綾羅橋から見るメーデースタジアム
▲巨大なメーデースタジアム遠景。綾羅橋から。(平壌)

メーデースタジアム
▲日中のメーデースタジアム。(平壌)

午後、開城から平壌に帰還。2度目のメーデースタジアムに向かいます。一昨日は夜だったので、昼間に来るとまた印象が違います。相変わらずの盛況ぶり。で、座席はまた10,000円の"2.5等級席"。「了解して頂けますか?」とガイド。最初から7,000円の3等席なんて取ってくれる気がなかったんじゃないかと疑わしいところでしたが、了解も何も、このために開城も早めに切り上げて帰ってきたわけだし、3,000円高いからって今更やめるわけにもいかないという。「いいですよ、2.5等級席全然OK」とか言ってみる。

脇にお土産の売店がある廊下を抜け、場内客席に入ると、既にフィールドと向かい客席側の背景台では開演前のウォーミングアップが始まっています。言わば本番前の気合い入れ。掛け声が勇ましく既に凄い迫力です。

16時開演、約1時間の公演。演目は、建国60周年を記念して製作された「繁栄あれ祖国よ」。「アリラン」とは趣向も少し変え、昼間公演ということもあり、体操やテコンドーなど人間個々の動き、躍動感により重きを置いた演出でした。テーマも朝鮮戦争後の「革命」史に絞っています。ま、革命と言っても、農業政策の勝利、経済政策の勝利、科学技術の進歩、さらに先軍政治をまい進して強盛大国を実現!・・・と、僕ら外国人からすると「ん!?」と所々に疑問や違和感を感じるわけではありますが。

例えば、農業政策一つとっても、主体農法と称してギュウギュウに植えすぎて痩せた稲ばかりになったり・・・なんて信じられないような過ちは、きっと夢か幻か帝国主義者が流した悪意ある嘘とでも言うのでしょう。ま、ここまで誇らしく掲げられてしまうと、さすがに何も言うことはありません。マスゲームそのものは素晴らしいので、拍手喝采しておきましょう。幼稚園児は可愛らしく、新体操は流麗、男子の旗や器具を使用した体操はとても迫力ありました。

建国60周年記念マスゲーム「繁栄あれ祖国よ」
▲綾羅島メーデースタジアムにて。建国60周年記念マスゲーム「繁栄あれ祖国よ」より、新体操を取り入れた一幕。(平壌)

終演後引き揚げていく女生徒たち▲「繁栄あれ祖国よ」終演後、会場外での光景。出演者の学生が衣装のまま引き揚げていく。(平壌)

終演後、スタジアムの外では出演者の子供たちが笑顔で歌を歌いながら帰って行きます。平壌では子供たちは毎朝登校時にも歌を歌いながら登校したりするそうです。配給されるという制服など、平壌の子供たちは結構キレイな身なりをしていた印象。しかし、開城では、ボロボロの衣服で、木の枝を持って遊ぶ子供の姿も見掛けました。ネパールやタイでも見たような光景。ここでも子供たちは貧しいながらも懸命に生きているんだなぁと。日本のテレビ報道で北朝鮮のコチェビと呼ばれるストリートチルドレンがよく取り上げられますが、観光客の目にすることが出来ないような地方では、やはり酷い状況なのでしょうか。

夕方、労働党創立記念塔へ行き、その後はお土産屋へ。松茸焼酎、飴の袋菓子、籐を編んだ小物入れ、小さな巾着袋などを買いました。お酒は8ユーロ(約1,100円)だったかな。あとはどれも2~3ユーロ(約300~400円)くらいだったと思います。

ところで、北朝鮮では観光客の支払はすべて外貨。公式推奨されているのはユーロです。とはいえ、敵対国家とされている米ドルや日本円も使えます。しかし現在最も盛んに流通しているのは人民元のようです。クレジットカードはまず使えません。また、現地通貨である朝鮮ウォンも、なぜか外国人の入手、使用が禁止されていて使えません。ま、実際には超インフレなどで朝鮮ウォンは半ば破綻しているなんて話もありますし、外貨のほうが便利ではあるのですが。

平壌、そして北朝鮮での最後の晩餐は、"アヒル"の焼肉。焼肉は今や朝鮮の名物料理の一つですが、アヒルは日本では見掛けないし馴染み薄いですよね。韓国では豚が人気なようでしたが、北朝鮮ではアヒルや鴨をよく食べるとか。ちなみに、朝鮮ではアヒルも鴨もオリコギ。ごっちゃな扱いみたい。高たんぱく低コレステロールでヘルシーらしいですよ。思ったよりへんな臭みはなく、いい具合にで鳥!って感じで、サンチュに包んだり包まなかったり(笑)、美味しく頂きました。締めはもちろん、・・・冷麺!北朝鮮に来て、3度目の冷麺(笑)。肉はちょっと苦手だという女性ガイドと「別腹、別腹」と言いながら平らげました。

ガイド2人とドライバーも交えて、皆で乾杯(ドライバーはこの日はお酒は口にせず)。5歳の愛娘が小学校に上がったら、何を習い事をさせようか悩んでいると笑う男性ガイドの表情。冗談を言ったら、お腹抱えて笑ってくれた女性ガイドの笑顔。政治や歴史で意見を異にしようとも、この時ばかりは只の人間同士。焼酎も飲んで、楽しくて忘れられない一夜になりました。

朝鮮労働党創立記念塔
▲朝鮮労働党創立記念塔。左から労働者のハンマー、インテリや芸術家の筆、農民のカマ。ちなみに、向こう奥の2つのビル(マンション?)屋上に掲げられた看板文字は、左からそれぞれ「百戦」「百勝」・・・だとか。(平壌)

オリコギ焼肉
▲アヒル(オリコギ)の焼肉。平壌最後の夜。(平壌)

開城。成均館、統一館、王健王陵

開城の住宅街
▲開城の住宅街。中流なアパートな感じの建物が並ぶ通り。(開城)

開城市街
▲市内。左奥に見える緑の屋根はレストラン・統一館。正面先は、金日成像。クルマが走っていない・・・。(開城)

板門店、DMZ観光を終え、開城(ケソン)の市街へ。開城は、10~14世紀高麗時代に都だった歴史ある街で、朝鮮人参と青磁器の産地としても有名。昨今は観光や工業などの事業を韓国と共同で積極的に行っていて、韓国側から韓国人も観光に訪れることが出来る唯一の都市でもあります。

高速道からインターチェンジを降りて、新通りと呼ばれる道を走り新市街へと入っていきます。新市街の道はとにかくダダっ広く、その一方で自動車の交通量は極端に少ない。多くの市民は徒歩や自転車といった印象。高層マンションなのか、結構大きな建物も数棟並んでいるのですが、まるで映画のセットのようなどこかアンバランスな不思議な光景。

ちょっと裏路地や街の外れでは古びた住居などが多く、肥やしの臭いが漂っていたり、牛がクルマを引いている光景なども見られました。平壌でも大通りと裏路地では歩く市民の雰囲気や空気が違いますが、開城ではさらに生活レベルなどが質素、悪く言えば少々貧しい印象でした。韓国側から観光に訪れると、基本的にバスの中からや街中の撮影は禁止されているそうですが、僕は北側から訪れたからか、あまりそういうことはありませんでした。ただ、一度だけ、市内の川で水遊びする子供の脇で、洗濯か何かしている人たちの姿を撮ろうとしたら、「ここは写真はダメです」と静止されました。川というよりはその向こうの住居や建物を撮らせたくなかったようですが、真意は分かりません。

リアカーと、自転車の傍で座り込む男
▲リアカーと、自転車の傍で座り込む男。(開城)

まず訪れたのは、市内外れにある成均館。元々は高麗時代から李氏朝鮮時代に儒教の教育機関だったところで、当時の建物も残しつつ、展示館を併設し、現在は博物館として利用されています。今回の北朝鮮旅行でこれまで訪れた建造物は、戦後作られたものばかりでしたが、開城ではもっと昔の朝鮮の歴史に触れられる良さがあります。柱の紋様や門の建築様式は、韓国で見た王宮と通じる部分も多く、民族と歴史を共有する国であることを実感されます。ちなみに、韓国で訪れた王宮は高麗時代の後の李氏朝鮮時代のものだったりしますが、北朝鮮はクーデターで高麗を倒し王朝を興した李氏朝鮮には否定的らしいです。

ここで一旦お昼を食べに新市街中心地に戻り、統一館というレストランへ。開城で観光客が食事というと、必ずといっていいほど連れてこられる店らしいです。本日の昼食は、飯床器(パンサンギ)。店に入るとテーブルの上にはキレイで小ぶりの金色の器がズラリ。ナムルとかこんにゃくの煮物とか一品一品は結構地味ですが、飯床器は元々宮廷料理だったのだとか。薬飯なんかもあって、(肉はあるけど)どこか精進料理みたいでもあり、ヘルシーなイメージ。地味ながらも、なかなか美味しかったです。

成均館
▲成均館。高麗博物館と呼ばれたりもしますが、史跡といった雰囲気です。(開城)

統一館の飯床器
▲統一館の飯床器。(開城)

統一館前から眺める開城新市街地
▲統一館前から眺める開城新市街地。映画村とエキストラではありません。(開城)

午後は、王建王陵へ。高麗の初代国王となり、936年朝鮮半島を統一した王建(太祖)の墓です。墓の外装や周囲の多くの建物や像は1994年に復元、改建されたもののようですが、玄室内部には創建当初のままの壁画が残されているそうです。残念ながら玄室は見学できませんでしたが、丸く土を盛った円墳で日本と同じような灯篭もあったり、なかなか興味深かったです。キレイに整備されていて、とても静かで厳かな雰囲気でもありました。

すると、ここで、旅行ガイドから、弾丸トラベラーの「ジカンニ カギリ アリマス」が如く、そろそろ平壌へ帰らなければとの通告。実はこの日、夕方から再びメーデースタジアムでマスゲームを見ることになったのです。もちろん「アリラン」ではなく、一応建国60周年記念の異なる演目ではあるのですが、本来僕が日本で聞いていた日程にはそんな予定はなく、マスゲームばかり見ても・・・と正直あまり乗り気ではありませんでした。しかし、開城もそれほど見るところはなく、どっか行くにしてもオプションに1万だ2万だ掛かると言うので、結局それならマスゲームでいいかとなったわけです。ただ、やはり開城はもう少しゆっくりしたかったかも。旧市街も歩きたかったし。近いうち、ソウル周りでまた来ようかなぁ。

再び平壌開城高速道路を、平壌に向かって疾走。復路の車内は朝からの疲れもあって、思わず寝てしまいました。移動では何でも目に焼き付けるべく寝ないぞっと思っていたのですが、ま、ほとんど田畑山川ですし、ついウトウト。ガイドもウトウトでした。

王建王陵
▲王建王陵。高麗の初代王の墓。(開城)

板門店、北の国からこんにちは。

DMZ内の農地で放牧されていた牛
▲DMZ内の農地で放牧されていた牛の姿。(DMZ)

板門店への道中
▲板門店への道中。所々に有事の際閉鎖するためのゲートなどがある。(JSA)

停戦談判会議場から、またクルマで少し進むと間もなくJSA(共同警備区域)内に入り、いよいよ板門店です。坂道を登ると、見覚えのあるプレハブとその向こうに韓国側の施設・自由の家が見えてきました。今年の春は向こうから「遠い」北朝鮮という国を興味深く見つめていた先、今まさにそちら側に立っているわけです。このエリアに到達までの南側からと北側からの旅程や景色の違いが、1つになれない2つの国の複雑さを実感させます。

板門店、会議室と自由の家
▲板門店、停戦委員会会議室と韓国側・自由の家。警備する朝鮮人民軍兵士。(JSA)

クルマを降り、金日成主席親筆碑を見た後、会議場のプレハブ小屋へと歩きます。韓国側から訪れた際には、やれ北側を指差すな、やれ大声出すな、2列で整列して歩け、写真撮影は展望台や会議場内など限られた場所でのみ・・・といろいろ制限があり緊張もしました。しかし、今回北朝鮮側からの訪問はというと、比べて何と緩いことか。怖いもの知らずの中国人団体と一緒に行動していたからというのもあるかもしれませんが、ぶらぶら歩いて、写真もあちこちでパチリパチリ。さすがに、あまりに遅れてたりすると兵士が注意していたものの、韓国側の厳戒さと比較すると拍子抜けするくらいの緩い雰囲気。韓国側では自粛のTシャツやジーンズで観光している人もいたりして(笑)、何のこっちゃという感じ。ただ、ガイドに聞いたら、やはりそういった格好の観光客を北朝鮮の人たちが快くは感じないのは確かなようです。もうその辺は軍事的に緊張したエリアだからとかではなくて、他国を訪問する時のマナー、心遣いといったレベルの話かなとは思います。

本会議場内。約半年ぶりにまた来てしまいました。今回は南側の出入り口前に人民軍兵士が立っています。韓国側から入った際にはテーブルに置かれていた国連旗もありません。また、韓国側ではNGだった椅子への着席がOK。一応着席して記念写真撮っておきました。

板門店、会議室内部(北から)
▲会議室内部。北朝鮮側から見学の場合、このように南側出入口には人民軍兵士が立つ。(JSA)

会議場を出て、正面階段を昇り、北朝鮮側の施設・板門閣へと入ります。北朝鮮らしい石造の建物で、2階建+屋上階、屋上階は広い展望テラスになっていて、板門店エリア南側を一望できます。韓国側では自由の家からは写真が許されず、その脇の展望台からしか撮影できませんでしたが、今回は北側中央から全体が見渡せ、写真も撮れました。あまり韓国兵の姿は見えません。そういえば韓国側から訪れた時は朝鮮人民兵が唯一この板門閣付近に数人見られただけでした。意図的にそのように警備を変更しているようです。

板門閣の展望テラスにいた人民軍兵士に2ショットを頼んだところ、快く一緒に写ってくれました。まだ20代ではないかという若い警備兵。「ホントにこの人でいいんですか?」とガイドに言われたけど、位でも低かったのでしょうか。韓国側ではこの板門店に配属されるのはエリートと聞きましたが、北朝鮮人民軍ではどうなんでしょうか。

板門閣
▲板門店、北朝鮮側・板門閣。大勢の中国人観光客。(JSA)

高速道で平壌から160km南へ。北側DMZ、停戦協定調印式場

北朝鮮3日目。今日は平壌を出て、南へ約160kmにある開城(ケソン)へ。朝7時30分にホテルを出発、クルマで高速道路を飛ばします。道路は、場所によってはかなり道が痛んでいて、走る車内がグワングワン揺れます。それでも我等が運転手は疾走。命お預けします・・・。

数箇所、検問があり、一般市民の走行は制限されている模様。通行量が極端に少なく、自分ら以外に見掛けた車両は数える程度。ただ、近くに街や村があると思われる地域では、人や自転車が通行していることも。上半身裸のあんちゃんがぶらぶら歩いてたり、おっちゃんが一生懸命自転車漕いで何処かへ向かっていたり。

開城までの間、載寧(チェリョン)平野を駆け抜け、松林(ソンリム)や沙里院(サリウォン)といった街の傍を通過していきます。車窓に流れる田舎の風景はのどかで、山や川など自然も美しく癒されます。高速道路が通る地域は農業も盛んらしく、とうもろこし畑や水田があちこちに見られ、またよく実っているようでした。山地や寒冷な地域が多いこの国において、自給食糧を支えている地域の一つなのかもしれません。食糧問題が常々指摘されている北朝鮮、ガイド曰く「今年の作物の出来はだいぶ良い」とのことでしたが、エリートや富裕層が多く食糧も集まる平壌や都市部はともかく、やはり地方の農村部などはかなり厳しい状況が続いているようです。

平壌開城高速道路。後続もすれ違うクルマもない
▲平壌開城高速道路。後続もすれ違うクルマもない。(黄海北道瑞興郡付近)

黄海北道瑞興郡付近のとうもろこし畑
▲とうもろこし畑。びっしり植えられています。実りの秋。(黄海北道瑞興郡付近)



▲高速道の中間辺りにある水穀休憩所。建物は道路を跨いで建てられている。(黄海北道瑞興郡)

水穀休憩所
▲水穀休憩所。立ち寄る観光客向けに外でお土産等を売っていた。(黄海北道瑞興郡)

平壌から1時間くらい走って小休憩。平壌開城高速道路にある唯一の休憩所、水穀(スゴク)休憩所に立ち寄ります。トイレの他、レストランや売店もあり、言わばサービスエリア。ただ、この日は朝早かったこともあってか、建物内の店はやっておらず、代わりに入口外、露店でのみお土産やフルーツを販売していました。停車していたのは、僕らの4WDと中国人グループの大型バスの2台のみ。休憩中の十数分の間でも高速道路に車両の通行は全くなく、何とも寂しい限り。しかし、その分(?)空気もキレイで静かです。

クルマに戻り、再び高速道路を疾走します。牛や牛車、田端で作業する人々、数十km向こうが韓国とは信じられないくらい、昔ながらな農業地域ののどかな光景。ただ、そうした中でも、時折現れる集落や街には突然スローガンが刻まれたモニュメントや金日成の肖像画が掲げられた建物があったりして、ふとここが北朝鮮であったことを思い出させられたりして。この高速道路を利用して数十km先の平壌を訪れることさえ許されない一般庶民は、いったいどのような気持ちで日々それらを眺めているのでしょうね。

平壌開城高速道路沿いの集落
平壌開城高速道路沿いの集落
▲高速道沿いの集落には、モニュメントやスローガン、金日成の肖像画なども見える。

とか何とか考えていると、周囲にはちらほら高麗人参畑。開城の街が見えてきました。が、ここは街は一旦スルーして、一気に北側の非武装地帯(DMZ)の検問へ向かいます。まずはDMZに入る手前のゲートで一度クルマを降りて、脇の施設内で人民軍兵士によるジオラマを使っての説明を受けます。南側では、服装やパスポートのチェック、さらに誓約書へのサインなどがありましたが、こちらではほとんどチェックや手続きなどはありませんでした(ま、パスポートは既にガイドに預けてるわけですしね(汗))。

DMZ見学は、観光客で大賑わい。先ほどまでの高速道路の静けさはどこへやら。欧米の方なども見られましたが、圧倒的に多いのは平壌同様やはり中国人。中国系マレー人の団体なんて人達もいましたけど。飛び交う中国語。写真撮りまくり。やはり10億を超える中国人パワーは、良くも悪くも凄いなぁと実感・・・。

DMZゲート前の検問所
▲DMZゲート前の検問所。観光客はここで一旦クルマを降り、説明などを受ける。(開城)

北側DMZから見るギジョン洞村北朝鮮国旗
北側DMZから見る自由の村韓国旗
▲北側DMZから見るギジョン洞村の北朝鮮国旗と、南側・韓国自由の村の太極旗。(DMZ)

DMZ内では、板門店に向かう途中、まず停戦談判会議場および停戦協定調印式場に立ち寄りました。国連軍と朝鮮人民軍が朝鮮戦争の休戦協議を行い、また協定締結後に式典を行った場所。建物内部には当時使われた机や椅子、国旗などが展示されています。調印式場では、北側の座席に座って記念写真をパチリ。案内する朝鮮人民軍兵士は、「アメリカが降伏文書に調印した」と言っていましたが、休戦、停戦ではなく終戦(どちらの降伏なのかは分かりませんが)が、訪れるのはいったいいつになるのでしょうか。

この調印式場は、今春訪れた韓国側JSAの展望台からも意外と近くに見えました。しかし、その距離をあちらからこちら側に来ることが、かかる時間にしても労力にしてもいかに「遠い」ことか。

停戦談判会議場
▲停戦談判会議場。室内。板門店の名称は、元々はこの付近にあった小店舗が由来になったと言われている。(DMZ)

停戦協定調印式場
▲停戦協定調印式場。朝鮮戦争の停戦協定文書の調印式典は、ここで行われた。(DMZ)

韓国側JSAの展望台から撮影した停戦協定調印式場
▲春に南側、韓国側JSAの展望台から撮影した停戦協定調印式場。(DMZ)

2008.09.18

ガイドとの会話、万景台学生少年宮殿見学、冷麺は別腹

平和自動車合弁会社のクルマ
▲旅行中ずっとお世話になったクルマ。この車種は、平和自動車という韓国統一教会系(!)のメーカーと北朝鮮による合弁会社が生産しているらしいです。平和自動車は平壌の街としては珍しい宣伝看板も見掛けました。

今回の旅行中あちこちで同じ一人の日本人観光客の方に出会いました。学生で大枚叩いて、初海外で北朝鮮とのことで、なかなかのつわもの。彼にもガイド2人に運転手が付いていて、ホントあちこちで会うので、もう一緒に行動すればいいのにと思うくらいで(苦笑)。ちなみに、彼は羊角島ホテルに泊まりたかったのに高麗ホテルだったとか。なかなか思うようにいかないものです。

学生の彼のガイドは、50代くらいの男性と20代の女性。若い女性の方はちょっと可愛くて少し羨ましかったり(笑)。一方、僕のガイドは、5歳の娘さんがいるという35歳の男性と、40前後の女性。学生の彼と2チーム一緒に食事という機会もありました。ガイドは皆、日本のニュースなどに興味があり、また詳しい。この9月中旬の段階で麻生さんのことも既に知っていて、「首相が麻生さんになったら、日朝関係はよくなると思いますか?」とか言ってました。僕が「皆さん日本のこと詳しいですね」と言ったら、「工作員かもしれないですよ」とか北朝鮮ギャグを飛ばされました。笑うに笑えないっちゅうの(苦笑)。

歴史や政治の話も、結構単刀直入にした気がします。こちらが言い過ぎないかって躊躇してしまうくらい・・・。竹島の話なんかまでちょっと出たりして、当然意見は合致しないわけですが、彼らも朝鮮中央テレビや政府役人のように語気を強めて自論一辺倒なんてことは全くなかったです。「ま、我々庶民が大きな政治問題を語っても、すぐにどうこうできるわけではないですが」なんてお互い苦笑いしたくらい。統制された少ない情報の中でも、彼らなりに考えているのは確かで、正直ちょっとホッとした部分はありました。

万景台学生少年宮殿
▲万景台学生少年宮殿。建物のデザインは、金日成主席が両腕を広げて、子供たちを向かい入れるようなイメージ・・・らしいです。(平壌)

夕方、この日の最後の訪問場所は、万景台学生少年宮殿。なんだか凄い名称ですが、簡単に言えば、小中高様々な学年の学生たちが放課後に集い、課外活動を行う施設です。平壌にはこのような施設が数箇所あり、金日成が「子供は国の宝であり、王様である」としたことから「宮殿」という名前が付いているとか。学習系、スポーツ系、芸術系、幅広く多数のサークルがあります。ここでは先述の日本人学生と一緒に、15歳だという少女の案内で、刺繍、習字、コンピュータプログラミング、ダンス、バレーボールといったサークルをちょっとずつ見学。それぞれ子供たちが一生懸命取り組んでいました。コンピュータは、ディスプレイは液晶で、OSもWindowsXP。しかもVisualStudioでC++とか、意外と本格的なことをやってました。実際見るまではどうせCRTでBASICとかじゃないのと正直舐めてただけに、ちょっと驚きました。これも、コンピュータ委員会委員長である金正男の指導の賜物、なのでしょうか!?

万景台学生少年宮殿のコンピュータ学習室
▲噂で聞いていたよりは、意外とまともなコンピュータ学習室。ExcelでVBAとか、VisualStudioでC++なんてこともやってました。(平壌、万景台学生少年宮殿)

サークル見学の後は、宮殿内にある劇場で、学生によるショーの鑑賞となります。建国60周年を祝う歌と踊りに始まり、様々な歌、合唱、プールと水泳をモチーフにしたダンス、太鼓、琴などの楽器演奏、さらに童謡をもとにしていると思われる演劇など様々な演目が繰り広げられます。昨夜のアリランマスゲームと比べても、スケールこそ小さいものの、子供とは思えないレベルのパフォーマンス。毎日懸命に練習しているんだろうなぁと素直に感心。しかし同時に、教育、課外学習の一環とはいえ、このショーはお金を取っていて観光収入として利用されている側面もあり、子供たちが一生懸命だから尚更ちょっと切なく思えてしまうようなところもありました。

万景台学生少年宮殿のショーの一幕
▲万景台学生少年宮殿のショーの一幕。(平壌)

万景台学生少年宮殿のショー終盤
▲ショーのラスト。出演者の学生たち。(平壌)

最後に、少女ガイドが感想を聞かせて欲しいと言ってきたので、「放課後さらにここで勉強や習い事しているなんて立派」と褒めたら、意外にも当然とでも言うような表情。北朝鮮ではこの宮殿に通えるだけでも、きっとエリートの証なのでしょう。ただ、一緒に記念写真をお願いしたら、照れた笑顔は紛れもない少女のもの。僕ら日本も他国に言えたものではないかもしれませんが、彼女たちの未来は明るいものであって欲しいと、素直にそう思います。子供は王様、ですしね。

宮殿を出て、レストランへ。この日の夕食は、朝鮮料理のみならずいろいろな国の折衷メニューといった趣き。蒸したとうもろこしとじゃがいもは新鮮度がいまいちなのかちょっと硬かった。ビックリしたのは、お好み焼き。チヂミじゃなくて日本の関西風お好み焼き。焼き方がちょっとチヂミっぽく揚げたようになってしまってましたが、不味くはなかったです。ちゃんとソース、マヨネーズでしたし。また、締めは、ご飯+キムチ味噌汁か、冷麺のどちらかセレクトでした。当然冷麺をセレクト。昼夜連続(笑)。女性のガイドさんも昼に続けて冷麺。「平壌の女性は、冷麺は別腹です」と笑ってました。

安山館で平壌冷麺。戦争記念館で戦争話。万景台、金日成の生家

銀杏を拾う人々
▲中区域付近の路地。銀杏を拾う人々。平壌でも開城でも、このような光景によく出会った。道端に並べて行き交う人に分けたり(売っている?)、開城では焼いている人も見掛けた。(平壌)

昼食は市内の安山館というレストランで食事。敷地内には大きな池を囲むとても美しい庭があります。金正日総書記の意向により日本の商社も出資して(現在は手を引いている)作られたというレストランで、日本料理もあり、和風のホール、寿司カウンターなんかもあります。僕らが食べるのは朝鮮料理なのに、この日はお客さんが多いこともあって、和風のホールに通された時にはちょっとビックリしました(笑)。ちなみに、金正日の料理人をしていたということで有名になった藤本健二氏も、ここで働いていたことがあるとか。

チヂミや揚げたカレイなどが出された後、今回の旅行で楽しみにしていた一つ、平壌冷麺がついに登場。冷麺というと日本でも人気のメニューですが、平壌や咸興など現在北朝鮮側の地域が発祥らしいです。平壌でポピュラーなのは、スープがある水冷麺(ムルレンミョン)。お好みで、酢や唐辛子、塩、味の素などを足して、よ~く混ぜて頂きます。あっさりですがしっかりダシは効いていて美味しかったし、ボリュームもたっぷりでした。春にソウルでも水冷麺食べて、その時は麺が噛み切れないくらいコシ強かったですが、平壌で食べた冷麺の麺は、そこまで強烈ではなかったです。ソウルの店では普通にハサミが置いてありましたが、ガイドさんによると平壌ではあまりそういうことはないと言ってました。

平壌、安山館の平壌冷麺
▲安山館の平壌冷麺。ボリュームたっぷりの水冷麺。(平壌)

昼食を済ませ、午後一で向かったのは、祖国解放戦争勝利記念館。朝鮮戦争を中心とした戦争博物館です。北朝鮮では朝鮮戦争はアメリカの挑発と策略により勃発したもので、金日成をはじめとする人民軍が現在の軍事境界線付近までを「解放」し「勝利」したとしています。そして、ガイドさん曰く、「解放された我が共和国は「民主的」な国であり、南朝鮮は未だ「軍事的」なアメリカ傀儡政権に占領されています。祖国分断は我が民族の悲劇です」と・・・。北朝鮮が民主的!?、それなら北朝鮮もかつてはソビエト連邦の傀儡では!?とは思いましたが、それはともかく、日本統治時代を含めて、一つの民族が周囲の大国の思惑によって翻弄され、敵対国家に分断されているという現実は、確かに我々日本人には想像できないほどの痛み苦しみがあるでしょう。

ただ、ガイドさんは記念館で話すうち「革命」精神が高揚したか、こんな話まで。「38度線は、そもそも日帝(彼らは日本、特に戦前の日本を憎悪も込めてこう呼ぶ)統治時代に、日本軍がひいたもの」、「大戦後、分断されるべきは日本のほうでした」。それまでは政治や歴史の話をしても、比較的冷静で微笑みさえ漏らしていたガイドさんの表情が、一瞬変わったようにさえ見えました。

日本統治時代に軍事的な管轄を38度線を境に決めたという史実はありますが、実際に分割統治を進めたのは大戦後の米ソです。一方、日本分断についてはあながち妄想とも言えず、戦後日本を連合国で分割統治しようという計画はありました。計画が実行されることはありませんでしたが、沖縄や小笠原諸島などは戦後しばらくアメリカの統治化でしたし、いわゆる北方領土は今もロシアに占領されており、実質一部実行されているとも言えるわけで・・・。しかし、本土まで細かに分割されなかったのは、朝鮮やベトナムなど周辺国の戦後を見ても、日本にとって不幸中の幸いと言っていいでしょう。しかし、そんな経緯も、一方で大戦後間もなく朝鮮戦争、半島分断という歴史を辿った朝鮮半島の人々からすると、なかなか煮え切らない部分はあるのかもしれません。かと言って、歴史に執着して恨み節ばかり吐いていても、非建設的なのですけど。

祖国解放戦争勝利記念館の展示
▲祖国解放戦争勝利記念館の展示。北側のもの、奪い取ったり撃ち落した南側のもの、結構な数の車両や機体が並んでいます。(平壌)

話は逸れましたが、祖国解放戦争勝利記念館。何かと金日成主席の功績に結びつける点は気になりましたが、倉庫のような展示室にずらっと並ぶ朝鮮戦争で使われた戦闘機や戦車などの兵器の数々は圧倒のコレクションで、軍事マニアや歴史好きにはたまらないかと。また、大田解放作戦という戦闘をドーナツ状360度のジオラマと壁画で再現した大パノラマ館も、なかなかの見もの。円形の展示室の壁際き2mくらいの範囲にジオラマが組まれていて内壁には壁画が描かれているのですが、この絵がとても立体的でジオラマとの境がパッと見分からないのはスゴい。奥行きと迫力があって、まさにパノラマです。

外周方向に座る座席はゆっくり回転していて、腰掛けてジオラマを眺めることが出来ます。そういえば、北朝鮮は有名ホテルには必ず回転レストランとかあるし、回転とジオラマがかなり好きみたいです。

祖国解放戦争勝利記念館、大パノラマ館
▲祖国解放戦争勝利記念館、大パノラマ館の展示の一部アップ。ジオラマと背景の境が分からない凝った作り。(平壌)

次に向かったのは、平壌中心からややはずれにある万景台(マンギョンデ)。日本でおなじみの万景峰(マンギョンボン)号の名も、ここらにちなんでいます。金日成の生家があり、一家が使っていた農具や家具も展示。すべて当時のままと言っていましたが、家はどう考えてもせいぜい再現かと。一家は貧乏で慎ましやかな生活をしていて、あえて歪んだ瓶を購入し使っていたというエピソードなども紹介されます。若干眉唾な印象が否めないのは気のせい!?・・・。どこまで本当でどこから嘘か分からないのが北朝鮮らしいっちゃらしいのですが。ここも万寿台の銅像と同様、北朝鮮の聖地の一つで、国内からは学生などが続々訪れ、観光客も強制的に必ず一度は連れて行かれます。

万景台、金日成主席の生家
▲万景台、金日成主席の生家。質素な民家であったと見せることが、人民の指導者として重要なのかも。(平壌)

金日成、金正日親子を描いた壁画
▲住宅地らしき入口で見掛けた金日成、金正日親子を描いた壁画。(平壌)

平壌の公共交通機関。地下鉄、市電、鉄道・・・

平壌地下鉄へ。平壌には千里馬線と革新線という2路線の地下鉄がありますが、乗車したのは千里馬線。始発駅である復興駅から隣駅の栄光駅の一区間。復興から栄光へ、ってか。

平壌地下鉄千里馬線、復興駅
▲平壌地下鉄千里馬線、復興駅。地上駅舎。行き交う市民。(平壌)

復興駅の改札
▲復興駅の改札。すぐ向こうがエスカレーター。(平壌)

復興駅のエスカレーター
▲地下と地上を結ぶ続くエスカレーター。(平壌、地下鉄復興駅)

復興駅は駅舎が地上にありました。たくさんの一般市民が行き来している入口を入って進むとすぐ改札。あまり照明のようなものがなく窓からの自然光のみで、少し暗い。切符売り場のような場所は特になく、ガランとした感じ。エスカレーターの手前に改札機7台が設置されていて、係員が数人立っています。改札機はコインを投入するか、磁気リーダーに定期(?)を通すことで通れるようです。ただ、係員に何やら切符のようなものを渡して通過している人も結構いました。

その地上駅舎から地下まで、長い、ホントに長いエスカレーターが直線で続いていて、暗いトンネルを延々下っていきます。正確な深さは分かりませんが、東京の大江戸線などよりも深くて50m以上あるとも言われているそうです。ガイド曰く、平壌の中心を横切る大同江の地下を潜り抜けるためということでしたが、核シェルターの用途を兼ねているという話もあるようです。

プラットホームは1つの島で両脇2線。始発駅ですが、結構5分~10分毎位に電車が入っては折り返し出発していきます。ホームのエリアはなかなか豪華で重厚な雰囲気。天井にはシャンデリア、トンネル側面には戦後の社会主義革命をテーマにした壁画が描かれています。ホームにキオスクのような売店はなく、代わりに新聞がケースに入れて掲示されていて、立ち止まって読んでいる人もいました。

復興駅、ホーム先端にある壁画
▲ホーム先端にある壁画。人民と共に笑顔で颯爽と歩を進める金日成主席を描いている。(平壌、地下鉄復興駅)

車両はドイツ、ベルリンから譲り受けたものらしいです。確かに多少古めかしく結構揺れましたが、内部は意外とキレイに使ってる印象。吊り広告などもなく車内は暗め、ただ金日成と金正日の肖像画はしっかり飾ってありました。明らかに観光客一行であるこちらを意識してか、乗客はほぼ無言でした。

下車した栄光駅も立派。ホーム上に数多く柱が立ててあってシャンデリアのアーチを支えている造りが印象的です。復興駅と同じく長~いエスカレーターを昇っていくと改札。こちらの改札は地下にありました。さらに階段を昇って地上出口。地上鉄道の拠点駅である平壌駅少し手前の広場に出ました。

平壌地下鉄、栄光駅
▲栄光駅。ホームからエレベーターへと向かう階段の正面には、白頭山の壁画。(平壌)

栄光駅、地上出口周辺
▲平壌地下鉄千里馬線・栄光駅、地上出口周辺。いきなり労働党旗の描かれた看板。

平壌駅
▲平壌駅。北朝鮮の鉄道の拠点。北京やモスクワへ国際列車も出ている。(平壌)

鉄橋を行く北朝鮮の鉄道
▲鉄橋を行く鉄道。たくさんの乗客をギュウギュウに乗せていた。(平壌、普通江)

北朝鮮への旅行を計画した当初には、帰路はその平壌駅から国際列車に乗って中国へというのを考えていたのですが、日程やお金など様々な事情を考慮した結果、残念ながら今回は諦めました。いつの日か、もっと気ままに北朝鮮国内を列車で旅できる時が早く来るといいなと願っています。

今回僕は地下鉄しか乗れませんでしたが、市内の公共交通機関としては、この他に路面電車とトロリーバスをよく見掛けました。普通の路線バスはあるのかなぁ!?見掛けなかった気がします。トラックの荷台に乗り合いみたいなのは結構いましたが、あれもバス代わりなのかも!?(笑)

何でもかつて金日成主席が鉄道などの電化を強烈に推し進めたらしく、鉄道の電化率は韓国を遥かに上回り、発展途上国らしからぬ高さを誇るらしいです。しかし、原発開発を強行したり、慢性的なエネルギー不足に喘ぐ昨今の状況を見ると、皮肉な状況でもあるわけですが。

プエブロ号、万寿台の金日成像、チュチェ思想塔

2日目。平壌市内観光。パスポートは前夜、ガイドに預けさせられました。ガイドが始終一緒に行動で、平壌の治安の良さは朝鮮政府自慢のはずなのに、何故に?パスポートは海外では命の次に大事と言いますから、よく考えると人質取られたようでちょっと怖い。コピー取ってヘンなことに使ったりとかしないでね・・・。

プエブロ号
▲プエブロ号。大同江で一般公開されている。(平壌)

まず最初に訪れたのは、ホテルを出て羊角橋を渡って少し西へ行った大同江岸に係留されているプエブロ号という船。1968年に朝鮮に領海侵犯したとして拿捕されたアメリカの情報収集船。乗員米兵1名死亡82名が身柄拘束、11ヵ月後解放するに当たり板門店で北朝鮮が用意した謝罪文にアメリカが署名したということで、アメリカに罪を認めさせた勝利として、船や押収品を反米宣伝のため一般公開しています。僕がこの事件や船の存在を知ったのは、正直つい最近なのですが、一時は日本海に米海軍空母が展開するなど緊迫した事態になったらしいです。

食堂だった部屋で、まず事件の経緯を説明する20分弱のビデオを見た後、女性兵士ガイドのもと(兵士は朝鮮語で話し、旅行社ガイドが通訳)船内を見学。事件云々はともかく、戦後間もない頃の調査艦ということで、操舵室や通信室などは興味深かったです。北朝鮮現地の人々も大勢見学に来ていて、当時拿捕に関わったという退役軍人が甲板で武勇伝を演説していました。

平壌市内の交差点
▲平壌市内の交差点。信号がなく、大きな交差点にはこのように係員が交通整理をしている。向こうは、電話ボックス。(平壌)

トロリーバスとジューススタンド
▲たくさんの乗客を乗せたトロリーバスと、街中のあちこちに見られたジュースか何か飲み物などを売る売店。この日、日中の気温は30度。北朝鮮は涼しいというイメージを裏切られた。(平壌)

次に向かうは万寿台(マンスデ)。周囲は公園として整備されており、万寿台芸術劇場と平壌第一百貨店に挟まれた広場の辺りを、ちょっとだけお散歩。噴水がキレイ。赤いスカーフやチマチョゴリの制服の女学生とすれ違う。ホント「女学生」という表現が似合う、どこかタイムトリップしたような懐かしい雰囲気。

噴水広場を抜け大きな道路を渡り、左に最高人民会議が開かれる議事堂がある坂道を昇っていくと、向こうに見えてくるのは、あの故金日成主席の巨大な銅像。銅像の両脇にある旗をかざして進む人民の彫刻(向かって左側は社会主義革命、右側が抗日闘争を表している)も、立体感、躍動感があってなかなかの迫力。

銅像前の広場にはチリ一つ落ちていないくらい。正装して「巡礼」に次々と訪れる朝鮮人民の人々。周囲に設置されたスピーカから歌が流れるなか、皆持参した花束を献花し一礼。必須らしく、僕も例に漏れず坂道の下の公園では花束を購入(ほぼ強制)。500円と言われ1000円札を出したところ、ユーロ札と人民元硬貨でおつりをくれました。レートも計算もなんだか分かりません。

万寿台の金日成銅像
▲万寿台の頂に立つ「偉大なる金日成同志の銅像」。朝鮮革命博物館に描かれた背景の壁画は、白頭山。(平壌、万寿台)

巨大な銅像に献花し一礼。金日成に頭を垂れるというのは日本人の僕としては正直複雑な気持ちですが、ま、郷に入れば郷に従え。他国にお邪魔しているのですから、形式的にでも礼儀は通しておくべきと考えました。

新婚の男女とその親族と見受けられるグループも何組かいて、ガイドさんによると平壌市民は結婚すると式後、市内の公園や主要スポットをまわるのが定番だそうです。主席に結婚をご報告といったところでしょうか。

千里馬銅像
▲手前が万寿台。千里馬(チョンリマ)銅像が見える。道の向こうは牡丹峰(モランボン)。劇場やモニュメントなどがある。(平壌)

チュチェ思想塔
▲チュチェ思想塔。中央に朝鮮語で「チュチェ」と書かれています。分かりやすい!?(平壌)

再びクルマに乗り込み、大同江対岸にあるチュチェ思想塔に向かいます。河辺の公園に天に向かって聳える、平壌のランドマーク。花崗岩で築かれた170mの石塔。頂点には烽火(のろし)が象られていて、その首元150mの部分がテラス、屋外展望台になっています。1階入口から石塔内部に入ると、中央ホールからエレベーターで展望台まで上がれます(1,000円ちょっと高い)。平壌で買った日本語ガイドブックには「高速エレベーター」とありますが、正直低速、遅いです。1982年建立からそのままなのか、結構旧式な模様。無言のチマチョゴリのエレベーターガール(チョゴレーターガール?)、ガイドと4人で、沈黙のなかゆ~っくり昇っていきます。ちなみに、1基なので一度乗り遅れると、なかなか戻ってこないです。

展望台は風を感じながら360度平壌の景色を楽しめるので、結構爽快です。石造建築物と緑の多い平壌市街は、美しいような懐かしいような、そしてどこか物悲しくもあり、共産圏の都市独特の雰囲気があります。高層マンションや巨大な建物、モニュメントも少なくないですが、どこか20~30年前から時間が止まっているような感覚がするのも不思議でした。

チュチェ思想塔から眺めた平壌市内
▲チュチェ思想塔、展望台から眺めた平壌市内、大同江対岸。中央が金日成広場や、国会図書館に当たる人民大学習堂。(平壌)

ちなみに、チュチェ思想とは、労働党独自の思想体系。1980~90年代、ソビエト連邦と東ヨーロッパ諸国など共産国が次々と消え世界の社会主義勢力が弱まるなか、労働党統治の正当性を強化する意味合いで提唱されました。ちょっと調べてみても、正直結局何が言いたいのかよく分からない部分が多いのですが、自主と自立、人民が国(革命と建設)の主人公であり、国家も国民のためにある、といったことが主題みたいです。なんだかどこかの宗教団体みたいな気がしないでもないですが、ま、ここまではよいでしょう。しかし、そこから論理は段々広がり、結局、人民は手足、労働党は胴体、首領は頭、よって優秀且つ絶対的な首領が必要・・・とつながってしまうのが何とも言い難いところ。

金正日総書記が推し進める先軍政治も軍国主義的で、これらのイデオロギーが、北朝鮮を世界が危険視する大きな要因の一つになっているといっていいでしょう。マスゲームでも、博物館見学でも、事ある毎に、アメリカやかつての日本の帝国主義、軍国主義的行為を憎悪し非難する彼らですが、自らもそれをなぞり、さらにその先の危険な道へと歩んでしまっているやも知れぬ現実を、皮肉と言わずして何と言えばいいのやら・・・。

夜、灯りも少ない平壌の真っ暗な夜景に、煌々と浮かぶライトアップされたチュチェ思想塔の烽火。それを眺めていると、ちょっと胸が痛いような複雑な気持ちになります。

スローガンとプロパガンダ看板
▲市内の何気ない風景。スローガンと、兵士のような絵が描かれたプロパガンダの看板。(平壌)

平壌高麗ホテル
▲移動途中に撮影した平壌高麗ホテル。巨大なツインタワーは印象的。泊まりたかったなぁ。(平壌)

2008.09.17

羊角島国際ホテル、朝鮮中央テレビ

宿泊は、平壌高麗ホテル・・・のはずが、暗い市街を抜けて連れて行かれたのは、大同江の、綾羅島とはまた別の中洲にある羊角島国際ホテル。出発直前に届いた日程表には「宿泊予定ホテル:平壌高麗ホテル」と書いてあって、市内の賑やかな場所にあるということで楽しみにしていただけに、ちょっと残念。ガイドさんも一応空きがあればと問い合わせてはくれましたが、やはり満室とかで叶いませんでした。

気を取り直して、羊角島国際ホテルを楽しむことに。羊角島国際ホテルは、平壌では高麗ホテルと並び特級と格付けられているホテル。最上階は回転展望レストラン(客が少なかったりすると頼まないと回さないらしい)!平壌では最新式、48階建て、1001室の巨大さを誇ります。ただ、僕が泊まった3等室の感じは、他の国の3つ星程度といったところ。

羊角島国際ホテルの客室
▲羊角島国際ホテルの3等室。ちなみに28階。平壌では特級とはいえ、他国の3つ星レベル。(平壌)

羊角島国際ホテル
▲羊角島国際ホテル。朝撮影。48階建て、高さ147m。1001室。朝鮮最大級。(平壌)

風呂、シャワーは最初なかなかお湯が出てこないので壊れてるかとも思ったのですが、じっくり待ってるとそのうち熱いお湯が出てきました。水道は若干赤茶けた水が出ることがあります。ガイドさんは「私たちは水道の水、普通に飲みます!」と言っていましたが、お腹が強いようです。

風呂上り、冷蔵庫にミネラルウォーターはおろか飲み物が一つもないことに気付きます。部屋にルームサービスのガイドも見当たらないし、下階の売店まで買いに行くのも面倒だったので、お湯の入ったポットはあったので(ティーバッグなどはない)、白湯やお湯を冷まして飲んだり。そういえば、朝鮮旅行はミネラルウォーターやペットボトルを買うタイミングというのが意外とない!僕は朝食の残りを持ち歩いたりしてました。

その朝食は、毎朝、ロビー階にいくつかあるレストランのうち欧風内装のレストランで、バイキング。料理は豚肉のキムチ炒めやナムルなどもありますが、全体的には洋風が多かったです。アンドーナツが美味しかった。コーヒーは、ちょっと薄めな感じ。北朝鮮なのにアメリカン!?

羊角島国際ホテルのレストラン
▲ロビー階の洋風レストラン。朝食バイキング。(平壌、羊角島国際ホテル)

羊角島。ホテル客室から
▲ホテル客室から撮影。奥からサッカー競技場、国際映画会館、ミニゴルフ場。(平壌、羊角島)

ホテルは羊角島(ヤンガクド)と呼ばれる中州にあり、他にサッカー競技場、ミニゴルフ場、平壌国際映画会館などがあります。滞在中は、平壌映画祭の開催期間。すぐ傍にメイン会場である平壌国際映画会館があるということで、世界各国からの映画関係者もたくさん宿泊している模様でした。外国人専用ホテルで半ば隔離状態ですが、部屋の窓からは市街地も一望でき、見晴しは良かったです。

ところで、ホテルの部屋のテレビでは、中国の中央テレビ(CCTV)や何やらロシアのテレビ局、あと海外向けのNHK BSなどが見られましたが、やはりつい見てしまったのは朝鮮中央テレビです。朝鮮中央テレビなど北朝鮮のテレビ放送は一日中放送しているわけではないようですが、朝は歌とカラオケのような映像が中心、夜はニュース、ドラマ(映画?)、スポーツ(シルム、テコンドーの録画)、歌番組など意外と多彩な番組を放送していました。若干落ち着いた読みのニュースが大半でしたが、あの御馴染みのニュース番組をリアルタイムで見れて感動。また、シルム(朝鮮相撲)は林の中のような素朴な会場で行われている映像でしたが、後からガイドさんに聞いたところ、大黄牛賞という有名な大会で、優勝者には牛1頭が送られたとか。なんだか北朝鮮の庶民の文化や娯楽を垣間見るところもあって、興味深かったです。

巨大スタジアムで10万人マスゲーム「アリラン」観覧

この日は9月17日。偶然ですが、2002年小泉純一郎首相(当時)が初めて訪朝したのと同じ日。これは何かあるに違いない(?)。

平壌空港から市内中心部へは約25km。畑を突っ切る道路を30分弱飛ばします。まずはいきなり夕食へ。平壌市内のレストラン。メインは、チョンゴル(?)という鍋料理。つくね状の肉と野菜を煮て、卵を溶いてさらに煮立てて、好みで塩や唐辛子をふって食べます。とても美味しかったです。その他、キムチや、豚の血ともち米を混ぜて腸詰にした(!)スンデという料理なども出ました。スンデは見た目も黒っぽく、最初抵抗がありましたが、せっかくなので一口二口。スパイシーな味わいでした。ガイドさん2人、運転手さんも含めて4人で仲良くお食事。しかし、いきなり運転手がビール1杯だけ飲んでいいかと聞いてきたのにはビックリ。親睦深める空気を乱すのも嫌だったので許可しましたが、平壌で交通事故なんてなったらシャレになりません・・・(汗)。

アリラン・マスゲーム開演前のメーデースタジアム
▲アリラン・マスゲーム開演前のメーデースタジアム。1989年竣工。20万7千平方メートルの敷地。(平壌、綾羅島)

夕食後は、マスゲーム「アリラン」の鑑賞へ。平壌市内を横切る川、大同江(テドンガン)の中洲の一つ、綾羅島(ルンラド)にあるメーデースタジアムで開催されています。すっかり日が暮れ電灯もまばらで真っ暗な平壌の街をしばらく走ると、現れたのは照明に照らされた競技場。世界最大級、約15万人まで観客を収容できるという大きさに圧倒されます。その上、凄い人!閑散としていた夜の市街とは打って変わって、現地人、在外朝鮮人、外国人の観客、さらに演者と思われる人たちや人民軍兵士まで、とにかく人でごった返しています。クルマのクラクション、交通整理の笛や大声も鳴り響きます。いきなり北朝鮮のイメージ、固定観念をぶち壊す光景。アリラン、および平壌映画祭期間中ということはあると思いますが、核問題や金正日の健康問題が報道される真っ只中、平壌にこれほど外国人が溢れていて、活気があるということ自体が、正直衝撃でした。ただ、やはり日本人はかなり少ないようです。

アリラン開演
▲19時30分、アリラン開演。鮮やかな夜、鮮やかなチマチョゴリ。(平壌、メーデースタジアム)

メーデースタジアム内部、観客席
▲観客席、1等席上部付近から。(平壌、メーデースタジアム)

19時30分開演、上演時間は約1時間30分。一番安い5,000ドル(7,500円)の3等席を希望したのですが、観客が一杯だとかで2等席後部で2.5等席10,000円という、よく分からない、若干騙されてる感が無きにしも非ずな席で観覧することに。でも、確かに通常の3等席よりは中央で見易く、料金も2等席10,000ドル(15,000円)よりはかなり安かったので、ま、よしとしました。

アリランは、2年ぶり今年で4回目の開催。章立てで展開され、オープニング、朝鮮民謡のアリランをモチーフにした演目から始まり、高麗の時代、日本統治時代の苦難、金日成による祖国解放、近代の工業や農業、文化、教育に至るまでの社会主義政策アピール、南北朝鮮統一への願い・・・と様々なテーマに、民族舞踊やテコンドー、体操などの要素も織り込みつつ、壮大なマスゲームが繰り広げられます。途中背景に映像を投影したり、レーザー演出、空中サーカスなどもあり、意外に多彩で飽きさせません。

とにかく総勢10万人近いという桁違いの人海と不気味なほど統制の取れた動きは、圧倒的で迫力充分。観客席向かい側の客席には上から下までびっしり演者が居り、スケッチブックを掲げ、大きな背景を作り出します。どうやって練習したのか、どうやって統率を取っているのかと驚くばかりです。これが、社会主義、あるいは独裁国家の成せる技なのか!?

人民軍兵士と体育系、芸術系の学生、社会人を中心に、その他一般市民も動員。小中学生もおり、世界では虐待だ、人権侵害だとの声もありますが、開演前にスタジアムの外で待機したり、終演後に列を成して帰っていく出演者の学生たちは、皆意外と笑顔で、時に楽しそうに談笑している光景もありました。学校や職業、世代を超えての交流の場にもなったりしているそうなので、必ずしも悪い側面ばかりではないのかもしれません。一部には若干の報酬を貰う人もいるようですが、ほとんどの人はボランティアや教育の色合いが強い模様。子供たちには豆乳などの飲み物やおやつが配られることもあって、ご機嫌取りをしているそうです。

朝鮮半島を中心にした地球儀を出演者総出で囲んで大団円。南北朝鮮統一で世界も平和、といったところでしょうか。気のせいか、九州や四国が妙に小さく、お隣の日本列島が不恰好に描かれていたように見えたのは、きっと気のせいでしょう・・・。核もミサイルも使われることなく、血も流れることなく、朝鮮半島に早く平和が訪れてくれることを祈って止みません。

今時これほどのスケールのマスゲームが見れる機会はそうそうないと思います。先日の北京オリンピック開会式か、この平壌のマスゲームくらいでしょう。賛否いずれにしろ、一度は見ておいて損はないかもしれません。ちょっと特殊な朝鮮という国を、端的にしかも強烈に実感できるイベントでした。

ちなみに、9月末までだった上演期間は、10月10日(労働党創建記念日)まで延長されたようです。今年は建国60周年ということで、いつもにも増して気合が入っています。資金繰りが厳しい国だけに、あれだけ観光客が来れば、それなりによい外貨稼ぎになっているのかもしれません。

マスゲーム、故金日成主席の肖像を背景に
▲マスゲーム、故金日成主席の肖像を背景に。(平壌、メーデースタジアム)

北朝鮮、平壌へ。ビザトラブルとエアコリョ

9月17日。
朝4時前に起床。羽田空港へ。羽田はいつぶりでしょう、とても久しぶり。旅行社からチケットなどが届いたのは、ほんの3日前。結局向こうから電話などは一度もなく、いい加減なもの。ホントに辿り着けるのか一抹の不安がまだ残ります。3日前に届いたスケジュールにあった集合場所に行ってみるものの、特に旅行社の人が見送り等に来ていることもなく、集合時間15分過ぎくらいまで待ってはみましたが、結局一人で出国、搭乗口へ。

平壌までは、関空で国際便に乗り継ぎ、中国・大連を経由して、瀋陽でまた違う飛行機に乗り継ぐという面倒臭さ。乗り継ぎの手続きや待ち時間も入れると約10時間の旅。韓国・ソウルまで約2時間で行けることを考えると、旅程から近くて遠い国を実感します。今回の手配には、旅行代金だけで結局33万円弱かかって(この他現地払いオプションなどでさらに取られるわけですが・・・)、まさに時間的にも料金的にも欧米へ行けてしまうレベル。職場の人には物好きしか行かないねと言われてしまったのですが、確かにこれに価値を見出せるか否かは人によって大差があるでしょう。

羽田から関空、関空から中国・瀋陽まではANAだったので、極めて快適。日本の航空会社も久々に乗った気がします。キャビンアテンダントに普通に日本語が通じるだけでも安心感が違いますね。

大連周水子国際空港
▲大連周水子国際空港。大連機場と書かれたガラス敷居と、向こうに見える滑走路と大連の街。(中国・大連)

大連では中国への入国手続きをして、すぐ機内へ戻る感じだったので、免税店をチラ見した程度。大連周水子国際空港はキレイな空港でした。免税店になぜかあるおもちゃコーナーで、女性店員がヘリのミニラジコン飛ばしてデモしていたのが印象的です。また、同じ旅行社のタグを荷物に付けて立っている日本人らしき男性を発見。孤独で少々不安があったのか、思わず声をかけてしまう僕。周囲を見渡すと同じタグを下げている客が大勢。こんなに日本人が!と思いきや、声を掛けた方はたまたま確かに日本人だったのですが、その他はほとんどが在日朝鮮人の方々。里帰りツアーとでも言いましょうか。日本人の男性は、彼らと知り合いで、興味もあり付き添って来たのだとか。

瀋陽桃仙国際空港。到着ロビー
▲瀋陽桃仙国際空港。到着ロビー。(中国・瀋陽)

現地時間13時(日本時間14時)過ぎ、瀋陽に到着。瀋陽桃仙国際空港は、それほど大きくもキレイでもない空港ですが、賑やかで、レストランの入口には中国らしい鮮やかな彩りのネオンで看板が掲げてあったりして、一気に中国だわ~という雰囲気。

ここでは搭乗手続きのカウンターで北朝鮮への入国ビザを受け渡してもらう手筈になっていたので、早めに搭乗手続きを済ませておこうとカウンターへ向かいます。瀋陽から平壌まではエアコリョ(高麗航空)。北朝鮮のフラッグキャリア。しかし国際便ロビーに行って探せどなかなか見つからず、どうやらエアコリョ単独のカウンターというのはないらしく、中国南方航空の隅を間借りしていました。

荷物を預け、搭乗手続きは無事終わったものの、肝心のビザの受け渡しらしきものがありません。係員はOK、OKと言うのですが、どうも不安だったので他の係員に改めて確認。必死にブロークンな英語で伝えていると、途中日本語が分かる朝鮮人らしき謎の係員が来て、「そんな話は来ていない」との答え。え゛~そんな~(汗)。指示が書かれている旅行社の資料などを見せて必死に説明。するとケータイでどこかに電話をかけ、この辺りでしばらく待っておくように言われます。

10分、30分待っても、帰ってこない。結局1時間近く待って、カウンター前にほとんど人がいなくなった頃、あの係員が帰ってきて、「ビザは間違って北京にあるようだ。とりあえずこの手紙を持っていきなさい。平壌に着いたら入国審査の係員に渡しなさい」と、見られないよう小さく折り畳んだ手紙を渡されました。何やら表面には宛名書きのようなものが書かれていますが、朝鮮語で読めず。「ホントにこれで入国できるんですか?話は通しておいて貰えてるんですか?」とオドオド僕の質問攻めにも、はっきりしない返答。う~ん・・・なんだかすご~く不安。危惧していたトラブルが早速発生!!北朝鮮は、本当に近くて遠い国なのね・・・。

中国の出国に関してはビザは関係ないということで、難なく通過。いざエアコリョへ搭乗。ツポレフTu-154B機。70年代の機種だとか。うわ、内装もキャビンアテンダントの格好も前時代的。白い手袋が清楚でイカしてます。「スチュワーデス」って感じ。出発まで冷房はオフ!乗客が乗り込むと機内が蒸してきますが、親愛なる指導者、金正日同志の細やかなご配慮により、座席前にはエアコリョ特製の団扇が常備されているので安心です(?)。

エアコリョの団扇
▲エアコリョの団扇。なんだか懐かしい風合。

エアコリョは、主に旧ソビエト製の古い航空機で運航していますが、何でも安全、整備、騒音など様々な面で問題視されていて、日本を始めヨーロッパ諸国など世界の多くの国で航行や空港乗り入れが禁止されているそうです・・・。

瀋陽から平壌までは、わずか1時間弱。離陸時や着陸時のエンジン音は強烈。機内には油の匂いも。機内食は出ませんでしたが、お茶、ジュースなど飲み物の提供はありました。しかし、何より鬱陶しかったのは、大勢の中国人乗客。騒がしいわ、離陸時など立ち上がりウロウロするわ、痰を吐きまくるわ・・・ホント相変わらずマナー悪いですね。さすがにキャビンアテンダントもイラついてました。

いよいよ平壌に到着です。日が暮れかけた17時10分(日本との時差なし)、平壌順安(スンアン)国際空港。日本や中国と比較すると、一気にこじんまりした雰囲気。タラップを降りてバスに乗りターミナルビルへ。ビル中央上部に掲げられた金日成主席の肖像画に迎えられ、ついにこの地に足を踏み入れたかと感慨もひとしお。

エアコリョ機。平壌順安国際空港にて
▲エアコリョ機。たぶんツポレフTu-154B。70年代の機体。平壌順安国際空港にて。(平壌市順安地区)

平壌順安国際空港
▲平壌順安国際空港。金日成主席の肖像画が迎える、ターミナルビル。(平壌市順安地区)

しかしまだ安心は出来ません。ビザなしの入国審査という難関が待ち受けています。中国人、在日朝鮮人のグループ、その他様々な国から来たと思われる方も想像以上に多い。欧米のメディア関係者やカメラマンや、シスターと思わしき人まで。入国審査の列に並び、ドキドキして順番を待ちます。ついに自分の番。「私は日本人ですが、瀋陽でビザ手配のトラブルがあって、この手紙を渡すように・・・」とまくしたてると、すぐに「あーお前か」と言わんばかり、ゲートの向こうで人を探している女性を呼び寄せます。どうやら朝鮮国際旅行社(現地の旅行社)のガイドの模様。彼女の手元には、トラベラーズカードと書かれた紙が。しかも僕の写真付き。・・・どういうこと!?ビザは北京にという話は!?とにもかくにも、入国はできるみたい。その後荷物検査で、ケータイを出せと言われる。事前に持ち込めないと聞いていたので日本に置いて行ったのですが、日本人は必ず携帯電話を持っていると思っているらしく、しつこく出せ出せと言われました。だから持ってきてないって・・・。さらにスーツケース開けられて、ドライヤやら充電器やらをこれはなんだ?と確認させられた後、やっとのことで通関通過。どうにか北朝鮮、もとい朝鮮民主主義人民共和国への入国を果たしました。

「ここまで来て、帰れと言われたらどうしようかと」と言ってホッとする僕を、笑顔で迎えてくれたガイドさん。先ほどの女性に加えて何故かもう一人男性のガイドも登場。こちらがガイドとしてはメインみたい。なぜに2人?相互監視体制・・・なのかな。さらにさらにドライバーも登場。他に日本人観光客は見当たらない。僕一人に3人の同行者。贅沢というか大仰というか。果たして、この後何が待ち受けているのでしょうか・・・。

アンニョンハシンミカ、チョソン(朝鮮)。アンニョンハシンミカ、コンファグッ(共和国)。

2008.09.16

靖国神社、遊就館、東京タワー

靖国神社、拝殿と中門鳥居
▲靖国神社、拝殿と中門鳥居。

靖国神社と、ずっと気になっていた遊就館に行ってきました。千鳥ケ淵や日本武道館などを含め、靖国神社付近の雰囲気は好きです。春は桜も奇麗ですよね。

靖国は以前近くのビルで仕事していたこともあり、昼に敷地内でお弁当食べたりしていたので、とても馴染み深く、何度も訪れています。

ただ、戦没者慰霊や神社としての靖国神社に特別強い思いがあったわけではないので、併設されている遊就館は気にはなっていたものの未だ行ったことがありませんでした。

友人が行ってみたいと言ってきたこともあって、今回良い機会だと思い、ついにその遊就館に行ってきました。1882年開館、日本最古の軍事博物館だそうです。幕末維新期から太平洋戦争までを中心に、日本の(主に戦争の)歴史に関する展示物が多く置かれています。回天や戦艦の大砲(レプリカ含む)などは圧巻。戦没者の遺品や遺影も数多く展示されていて、国のために亡くなっていった方々のことを想うと胸も熱くなりました。

遊就館展示の零式艦上戦闘機52型
▲遊就館展示の零式艦上戦闘機52型。

確かに、展示や映像の説明等は少々右寄り、日本に肯定的な表現が多いですが、戦争行為を美化しているというよりは、日本という国への強い誇りと、先祖の英霊を敬い讃えるような気持ちが伝わってきました。歴史認識等を巡る隣国との軋轢がありますが、靖国神社の問題はA級戦犯や外国人戦没者の合祀が大きいと思うので、その辺が早くうまい落としどころが見つかるとよいのですけどね・・・。

その他、この日は、東京タワーにも行って、まさに東京観光を満喫。意外と東京に住んでいても行かないところへ行って、充実した日でした。

東京タワー
▲東京タワーを真下から。

2008.09.09

僕は美少年!

「美少年酒造」でも事故米混入の可能性…当面は出荷自粛
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080909-00000026-yom-soci

美少年、先日飲んだんですけど・・・。

先日、有楽町で友人と飲んだ際、「僕は美少年!」と元気よく注文して、店員が苦笑いしていたのをよく覚えています(笑)。

中国の食の安全をどうこう言う以前に、国内も実情は相当酷いんじゃないかなぁ。消費者は安くて品質の良いものを求めますが、原材料費などを考えると、そう簡単に安くて良いものを作れるはずもなく。

とか言ってると、一方で、上辺だけ高級感を繕った不当に高い商品を売りまくって笑いが止まらない業者もいたりして。

あまり政府の検査機関や認可を厳しくしても、せいぜい天下りの温床になるだけですし、ま~、難しい問題です・・・。あ、美少年酒造は、知らずに事故米を仕入れていたということであれば被害者ということになるので、念のため。

2008.09.07

20世紀以来の再会?

北九州に住んでいる友人が、東京観光も兼ねて、約9年ぶりに会いに来てくれることになりました。

しかし、東京のどこに連れて行ったり、何を食べさせてやったらいいものか。東京タワー?お台場?浅草?もんじゃ?江戸前寿司?それとも流行りの店?

ま、肝心な彼は歌舞伎町辺りでの夜遊び?が実は一番楽しみなようですが(苦笑)。

あちらを離れてもうだいぶ経ち、当時の友人もそれぞれの道を歩んで頑張っているようですが、久々にでも僕のことを思い出して訪ねて来てくれる人がいるというのは、やはり嬉しいものです。彼はまだ音楽に熱心でドラムもだいぶ上手くなったようで、3年前に買ったシンセが実家で埃を被ってしまっている僕ですが、久々に音楽談義に花を咲かせることになりそうです。

2008.09.04

ヒートシンク外れるDELLタイマー&JavaMail

職場のPCが、朝出勤して電源入れたら
「Alert! Chipset heat sink not detected. System halted」
というメッセージが出て、起動せず。

本体を開けてみたら、カラカラッと転がり出たヒートシンク。見事に取れてました・・・。ヒートシンクを抑え付けている止め具の片方が抜けて外れたのが原因。

なんじゃこりゃと別のPCでネットで同メッセージを検索してみたら、同じような現象のブログ記事やHP記事が出てくること出てくること。DELL Dimension 4600CというPCなのですが、同機種では昨年前後からこの故障が多発しているようです。3~4年の経年劣化を差し引いても、これはメーカー製造不良、設計ミスの可能性が極めて高いと思うのですが・・・。

ネットには各個人の修理法は散見され、半田や針金を使った面倒なものから、瞬間接着剤や近くのマザーボード上の近くの部品に引っ掛ける危なっかしいものまでいろいろあるようですが、顧客からの借り物だし、ヘタに僕が手加えて余計悪化したら目も当てられないので、とりあえず担当者に状況と上記のような話を伝えて、対応の指示があるまで待ちとすることに。"DELLタイマー"、ユーザは要注意です。あ、自宅のPCも機種は違うけど、DELLでした(笑)。

HDDは問題ないので、とりあえず重要なデータは他のPCにバックアップしておき、今日は代替のPCのセッティングに終始。使い慣れないノートPC、なんだか操作の効率も下がり、モチベーションも上がりません・・・。困ったなぁ。ついてないなぁ。

昨今はJavaMailを使ってメールを取得しDBに取り込むような機能を開発しているのですが、メールのヘッダやらいろいろ勉強にはなりました。UTF-7のデコードなどは、対処法は分かったのですが面倒臭いのでとりあえず保留しました。あとはMimeMessageをファイル出力するところが山かな・・・。

再来週は夏休みとって、旅行行かねばならないし、どうにかモチベーション上げて、もう一踏ん張り!!

DELLタイマーにより玉砕
▲右上が取れたヒートシンク。右下が止め具・・・。

2008.09.02

福田首相辞任表明に思うこと

福田首相が辞任を表明。もう自民党内での政権を投げ出してはたらい回しという繰り返しはウンザリ。絶対に、早急に解散総選挙をしてほしいところです。どれだけ逃げるのか、民意を問え。自民党としては、麻生太郎など人気者を頭に挿げ替えてから様子を見て、と考えているのでしょうが、それでまた自民党支持がすぐ戻るようなら、日本国民の感覚も益々絶望的だなとも思います。

福田首相は何も言わない、何もしないというイメージが強いですが、ねじれ国会や党内の突き上げもあり、させて貰えなかった、出来なかったというのは確かにあると思います。ねじれ国会による停滞には野党にも責任の一旦はあるかもしれません。責めるには手緩く、大連立など協力の姿勢を見せた時期もあったり。・・・とはいえ、だからといってこのように政権を投げ出すというは、日本政府の世界的信用にも関わるかと。官房長官時代はあのフフッという薄ら笑いもチャームポイントでしたが、やはり内閣総理大臣の器ではなかったのでしょう。言われてるように、ホントに首相になることこそが目的で、そこでもうある程度満足してしまったかのような印象さえします。意地でも成し遂げるぞ!という気迫が全くなかったような・・・。

もう一点、大きな問題は、公明党。財源、効果など不透明で福田首相も否定的だった定額給付金をゴリ押しで経済対策に盛り込ませたことには、福田首相も激怒し、辞任決意の引き金になったとも。頭にあるのは政権に居座ることと選挙のことばかり。創価学会による集票力から、どうしてもキャスティングボートを握り、他党にとっても完全に関係を(断ちたくても)断つことの出来ない忌まわしき存在。公明党と組み出してから、自民党も弱体化。まさに、日本の政権に居座るガンと言ってしまってもよいかと。矢野絢也元委員長、参考人招致等でもっとぶちまけてくれないかなぁ・・・。

その技術力や経済力、労働力などから鑑みても、日本をここまで停滞感や不況で覆った元凶は昨今の政治と断言してよいと思います。一日でも早く、日本のビジョン、強い意志を示すことが出来る政権が現れてくれることを願って止みません。

2008.09.01

将軍様の軽音楽団

北朝鮮の2大大衆音楽(?)グループと言われるポチョンボ電子楽団とワンジェサン軽音楽団。朝鮮旅行の気分を盛り上げていくために、最近よく聴いてます。

どちらのグループも、複数女性によるヴォーカルで、金日成や金正日、労働党や軍を称える歌と朝鮮民謡をベースにした楽曲が多いです。意外にシンセ(っつうか、電子楽器的な音)をふんだんに使っていますが、聴き心地は日本で言えば戦後すぐかそれ以前の歌謡曲の風合いです。それが味があるといえばあるのですが。

1980年代初頭に金正日の強い意向により結成された両グループですが、最近では、保守派(金日成時代からの比較的老年層中心)の批判が強まって、活動休止状態らしいです。なんでもかんでも新しいもの、娯楽を抑えつけ過ぎるのは如何なものかと残念な限り。

ポチョンボのほうが比較的人気があって、楽曲も多いのかな。でも、ワンジェサン軽音楽団も明るく軽快なイメージの楽曲が多くて侮れません。双方ともよく似ているし、同じ楽曲も少なくないですが。

「アリラン」や「フルラリ」、「口笛(フィパラム)」辺りは、あまり興味がなくても聴いたことある人も多いのでは。マンマンセー!と歌うような楽曲は複雑な気持ちにもなりますが、「アリラン」など朝鮮民謡は叙情がありますし、「口笛(フィパラム)」なんて可愛らしいし、なんだか純朴~な気持ちになりますよ。

フィッパラ フィッパラ~ム♪フィッフィフィフォッフォフォ~♪ですからね(笑)。韓国でも日本文化が全面開放されてからまだ10年経ってないと思いますが、北朝鮮の一般的な人たちが、日本の音楽や文化に触れられる日は果たしていつになるのでしょうか。また、その時、こうした北朝鮮の音楽たちはどうなっていくのでしょうね。

ポチョンボ電子楽団

ワンジェサン軽音楽団

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