contact

音楽

ゲーム

« 東岸、神殿巡りとステラビール | トップページ | エジプト料理とオールドカタラクトホテル »

2007.09.14

ルクソールへ。王家の谷、ハトシェプスト女王葬祭殿。

3日目。朝5時過ぎ発の飛行機に乗るため、深夜2:00(!)起床。朝ポーターにバスまで運んでおいて貰うため、スーツケース出そうとしてカードキー部屋において廊下に出てしまう。真夜中裸足でフロアをボーイ探し歩いて、事情を話し開けて貰う。早速やっちんちん。恥ずかしい~!

カイロ国際空港は、国内線(および中東方面)中心の第1ターミナルから搭乗手続き。いざルクソールへ。1時間程度のフライト。空港の荷物チェックは厳しいと言われましたが、結局ペットボトルも持って乗れました。

世界の重要な遺跡の3分の2はここにあるとまで言われるルクソール。紀元前2040年から600年頃まで、かつてはテーベとよばれ数多くの神殿や墓が築かれ栄えた都。ホテルやメインストリート、神殿などの遺跡のある東岸から、ナイル川を挟んで西岸は死者の住まう所とされ、墓や葬祭殿の遺跡があります。

ルクソール橋
▲ルクソールの東岸、西岸を結ぶ橋。渡り口にはムバラク大統領の写真が・・・。(ルクソール)

メムノンの巨像
▲メムノンの巨像。でも本当はメムノンは関係なくて、アメンホテプ3世というファラオの座像だったりします。(ルクソール)

まずは西岸から観光。メムノンの巨像に立ち寄り、王家の谷へ。紀元前1500年~1100年頃、新王国時代に岩山を掘って作られた墓穴群。当時既に横行していた盗掘や破壊から逃れる意味もあり、このような隠れた場所に築かれたそうです。全部で63の墓が見つかっていて、そのうち十数か所が公開されています。僕らが入ったのは、ラムセス3世、ラムセス6世、メルエンプタハ、そしてツタンカーメン(トゥトアンクアムン)の4つ。ラムセス3世や6世の墓は、通路や玄室の線描画、壁画がとても美しく圧巻。びっしり書かれたヒエログリフ(古代エジプトの象形文字)はいったい何を語っているのでしょう。王の在りし日の功績か、あの世の神々へのメッセージか。ちなみに、ヒエログリフは鳥や動物、植物などモデルがよく分かる絵のような文字ですが、基本的には発音を表していて、文字の組み合わせで意味を表現しています。そのため必ずしも絵そのものの意味を示しているとは限りません。漢字とかと同じですね。古代エジプトには、ヒエログリフの他に、その簡略書体のヒエラティック、さらに崩された民衆文字のデモティックの主に3つの文字が存在していたと言われています。ヒエログリフが生まれたのは紀元前3000年頃。日本ならまだ縄文とか弥生時代の話。驚くべき文化度ですよね。

王家の谷
▲王家の谷。(ルクソール)

ツタンカーメンの墓。入口。
▲K.V.62、ツタンカーメンの墓。入口。手前のオジサンは一応監視係。ノーカメラ。(ルクソール)

ツタンカーメンの墓は、結構狭くて小さかったです。未盗掘だったため大量の副葬品やミイラが発見されたということで有名なツタンカーメンですが、ファラオとしては短命、短期政権で、権力もそれほどではなかったようです。しかし、墓の玄室ではツタンカーメンのミイラが静かに棺の奥で眠っていました。美しい壁画と異国の観光客に見つめられ・・・。

結構ゆっくりと王家の谷を散策した後は、再びバスに乗り、王家の谷の岩山の反対側に位置するハトシェプスト女王葬祭殿へと向かいます。王家の谷もそうだったのですが、結構手前に駐車場があり、そこからはディズニーランドのような乗り物(カートを連結したようなトレインバス)に乗って遺跡前まで送迎してくれます。

ハトシェプスト女王葬祭殿
▲ハトシェプスト女王葬祭殿。中央手前がその乗り物。(ルクソール)

ハトシェプスト女王葬祭殿と言えば、ちょうど10年前のルクソール事件、63名が銃乱射とナイフで殺されたテロを思い出す人も少なくないでしょう。ちなみに、エジプトではそうした経験を踏まえ、現在では公共施設や観光地のそこかしこに自動小銃を携えた警官や軍人が多く警備しています。特に主要な観光スポットには、ツーリストポリスと呼ばれる警官が配備されていて、エリアに入場する際もIDチェックや荷物チェックを受けることも度々あります。いちいち面倒だったり、ちょっと物々しい雰囲気で緊張してしまうこともありますが、逆に安心でもあるわけで。観光に経済を大きく依存しているエジプトならではの施策と言えるかもしれません。それでもしばしば爆弾テロや襲撃事件は起こっていますから、テロの脅威は依然払拭されているとは言えないかもしれません。エジプトは中東に近く、イスラム教を国教としているにも関わらず、欧米からの観光客が多く、イスラエルと友好条約を結んでいるなどの理由も絡み、イラスム教原理主義系テロリストの標的になりやすいようです。

ハトシェプスト女王葬祭殿。中庭への門の前にて
▲ハトシェプスト女王葬祭殿。中庭への門の前にて。(ルクソール)

いけないいけない。深刻で暗い話題はさておき、ハトシェプスト女王葬祭殿。ドドーンと巨大な像が構えるような神殿とはまた違った、女王らしい美しさを持った建物。岩山とその前に広がる砂漠に溶け込み、緩やかにスロープが伸び、ステージが重なった3階建て。2階テラス部分にあたる第2テラスは広く、かつてはここで儀式や祭りが行われたのかもしれません。スロープを登ったところ、門の入口に並ぶハトシェプスト女王をかたちどった石像は、ファラオ独特のヒゲを付しているものの、その顔立ちや身体のラインは女性っぽい。当時ハトシェプストは男装して職務に当たっていたとか。紀元前1479年頃、いまから3500年近く前に、幼い息子に代わってエジプトを治めたという女王。先述の王家の谷で発見され身元不明だったミイラが、つい先日彼女のものと断定されたそうです。第2テラスやその脇の列柱室付近から眺める景色も最高でした。

昼メシに向かう前に、ツアーで連れて行かれたのはアラバスター(雪花石膏)細工の店。機械製はツルツルピカピカだけど、重い。一方の手製は曇りがかった独特の風合いだけど、薄く軽くて丈夫なのだとか。大きな花瓶から小さな灰皿や小物入れ、置物などいろいろありましたが、僕の日本の小さなお部屋には不釣合い。ジャスト・ルッキングで、ウィンドウショッピングさせて頂きました。

王家の谷へ向かう途中には、あの吉村作治の拠点にもなっているワセダハウスや、ツタンカーメンを発見、発掘したことで有名なハワード・カーターが居住したという家なんかもありました。そうそう、なんていう名前か忘れましたけど、かつての墓荒らし、盗賊たちが築いた村なんかも見えました。テレビ番組で言ってたけど、大昔彼らは遺跡の近くや上にそのまま家や村を築いたから、家が遺跡の穴に直結していたりして、いまも家の下に遺跡が眠っている可能性があるそうです。エジプトには、この他にもかつて墓荒らしで財を成した村や家があちこちにあるそうです。また、ガイドさん曰く、「そうした村は結構金持ちが多い。政治家とか偉くなった人も多い」(笑)とか!?

« 東岸、神殿巡りとステラビール | トップページ | エジプト料理とオールドカタラクトホテル »

旅行・地域2003-2007」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/4825/16549258

この記事へのトラックバック一覧です: ルクソールへ。王家の谷、ハトシェプスト女王葬祭殿。:

» 王家の谷・ツタンカーメン [エジプトはナイルの賜物]
王家の谷のことをまとめてみました。 [続きを読む]

« 東岸、神殿巡りとステラビール | トップページ | エジプト料理とオールドカタラクトホテル »

無料ブログはココログ