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2006.04.23

人体の不思議展・横浜展

行って来ましたよ。人体の不思議展・横浜展。もう何年も前から全国で開催されている展示会で、ずっと気になっていたんですけど、ついに足を運ぶことが出来ました。本物の死体に真空下で特殊な樹脂を浸透させることによって標本化されるプラストミック人体標本の展示会です。

いや~、人体(死体)だらけでしたぁ。展示物について、ネットなどでかなり写真では見ていたので、ある程度の心構えは出来ていたと思うのですが、それでもやはり実物は凄かったです。単純に気持ち悪いとか不気味とか、そういうのとはちょっと違う不思議な感覚だったような気がします。いやまぁ、とはいえ、まさにリアルCTスキャンとも言うような、全身や顔のスライス標本なんかはさすがに強烈でしたけど。

しかし、内臓の集積具合とか芸術的なまでの筋肉とか、人体の不思議というか凄さは堪能することが出来ました。全身の血管をつるっと抜き出したかのような全身血管標本なども繊細なドライフラワーか綿のようで・・・。構造やその働きもですが、これらのものが我々がほとんど意識することなく日々機能しているということに、改めて自然物への畏敬の念、神秘を感じました。全身標本に触れたり、重さも生動時に近く調整された脳の標本を両手で持つことが出来るコーナーまであります。

でもこれらはみな私たち人間の身体にいつも自然に在るもの。養老孟司氏が言っていたように、自分の命や身体、そして死というものを体感、実感し辛くなった現代において、こうした機会は稀有。興味本位?見世物?異常?非現実!?・・・

それはじつは間違っている。私はそう思う。なぜならわれわれは、人体という存在を、そういう文脈に乗るものとしてそれほど日常的な感想で見ていることは決してできないからである。そこにはなにか、強い緊張感があるはずである。人体の展示について、興味本位だとか、金儲けだとかいうのは、日常の文脈に死体を戻していっているのである。
それは単なる理屈にすぎない。
死体を目の前にして、自分が日常感覚でいられるかといったら、ほとんどの人がいられないことに気づくであろう。ではその「異常な」と自分には思われる感覚を、最後まで詰めていったらどうなるか。
そこで見ている人体はじつは自分だという「感覚」に、いずれは気づくはずである。
」(養老孟司「展示が教えること」より引用)

他人の体内や脳を触っていた手で、数十分後には会場出て近くの喫茶店でケーキ食って、紅茶飲みました(苦笑)。せっかく横浜まで行ったので、山下公園沿いを散策し、桜木町まで移動し、ウインドウショッピングをして帰りました。

親族の葬式の時に遺体を見たり、母の癌の手術時にその取り出した胃など内臓を医者に見せられたことはありましたが、こんなに多くの死体や内臓を、標本とはいえ見たのはもちろん人生で初めてのこと。好奇心や怖いもの見たさから始まった興味ではありましたが、これからこの身体と命と付き合っていく上で貴重な体験になりました。

http://www.jintai.co.jp/main.html

人体の不思議展

図録・人体の不思議

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